呼吸道とわたし5 〜破壊と再生、祈った日々〜

呼吸道とわたし①

呼吸道とわたし②

呼吸道とわたし③

呼吸道とわたし④

早池峰から帰り私の信念体系、固定概念が大きく崩れていきました。つながりとは目に見えてつながり暮らすこととか、親の面倒、介護をすることで私自身が学ばせてもらえると信じていたので、子が親の世話をする事が恩返しとか、見捨てる人だと思われたくない、いい人でいたいなど私の自我の不安から自分を縛りまくっていたものが一気に崩れました。

両親の感染症をきっかけに病院にレスパイトを泣きながら頼みました。ケアマネさんも一緒に頭を下げてくださいました。パートナーも限界が来て、家を出ていきました。

養育里親としても今後措置解除となり里子と別れる事になるかもしれない状況にまでなり子どもには本当に嫌な思いをさせてしまいました。

自分が頑張らないと…と頑張ることで存在し愛されようとした子どもの頃からのパターン。そして限界がきて全部が嫌になって投げ出してしまうパターン。自立しない未熟さでずっと愛されたいと願い、愛されないと怒り絶望し全てを断ち切るパターン。

そんな自我のパターンを貫くのではなく、ホントに自立する方向へ歩みたい。いい歳した大人ですが、笑

だからこそ今は違和感は早めに伝えます。人はみな違うし、正解はないのだから違和感を伝えることで他者とスムーズなやり取りができなかったとしても嫌なものは嫌と伝えるし、必要ないものは必要ないと感じている自分をOKにしたいんだと感じるようになりました。

自分の自我を受け入れるしかありません。本質の自己ではないと分かり始めたので…そんな中年越しを迎え、富士山に初日の出を見に行きました。

UFOらしき光も見えたし、初日の出は美しい。
私はこの年始まりをすごく清々しく感じていました。
起きてることは最悪な状況だけど。

好きな神社にもお参りしてなんか安心感があったのです。不思議でした。外側の出来事に左右されずに私の内側は凛として、しっかり立ってる感覚でした。私はもう天に委ねるしかなくなり、淡々と日常生活を送り日々家で呼吸をしながらボディワークをして過ごし、パートナーが家に居ないことの自由さを逆に感じてもう離婚かな…と感じ始めました。

今起きていることが自我の世界なら、愛からの世界に生きます、私に気づきを与えてくださいと毎日祈りました。

すると日が経つにつれ私の自我のうるさかった思考が静まっていき、だんだんと「つながり」を感じるようになりました。

私が自立することを恐れ依存してしがみついて「つながり」が大事だと言っていたところが、一緒にいようがいまいがどうあれつながっている感覚が私の全身に広がりました。

両親を施設にお任せすることの罪悪感
弟に向けてた怒りの感情
パートナーに向けての諦めの気持ち

つながりを信頼しない私の自我が創り出したことがはっきりわかり、どのようなカタチになっても大丈夫なんだって安心と信頼を思い出し腹が決まる感じがしました。

それからすぐにパートナーは家に帰ってきたし、両親の特別養護老人ホームの空きが出たと連絡がありました。たった3ヶ月で2年くらい待つと言われた両親の入所が決まりました。

自分の内側と向き合うことで、自我が創り出す分離のストーリーにハマることなく愛の世界を映し出すことができました。

それに気づかなかったら、両親の介護をまだ義務のように感じ怒りながらやっていたし、養育里親も終了していたし、離婚もしていたと思います。

自我や思考が認識し映し出す世界に気づいたら、自分が愛からの世界を創造してみる。いつもこの気づきと行動が大切なんだなとようやく学び始めました、笑

早池峰の音霊呼吸道での体験があったから、もうエネルギーを体内に滞らせて自分で自分を不愉快にする必要はないということを日常生活で実践していきたいと
さらに強く感じた破壊と再生な出来事でした。

自分の暮らしに起きた崖っぷちな出来事は無事おさまるところにおさまりましたので、沖縄久高島で開催される呼吸道ワークショップに申込みました。

私が呼吸道を通して何を知りたかったのか段々とはっきりしてきました。私は清水友邦先生を尊敬しているからこそ、先生の本を読んだからこそ、学ぶ者として崇め先生がすごい、先生のおかげで…とか、呼吸道というものの枠の中だけで生きたくないなぁーと感じるようになった変化を感じています。

久高島ではのびのびする自分を感じるのです
つづく…