呼吸道とわたし1 〜呼吸道との出会い〜

私が2021年に出会い学んできた呼吸道

2024年の今、呼吸道で学んだワークをお伝えし、自我と本質の自己を統合し日常生活を送り、社会に適応し暮らすことを皆さんと分かち合いたいと思うまでになりました。

2024年5月呼吸道の清水友邦先生と清水プラダさんがお話会とライアー演奏会で長野県飯田市に来てくださる事になりました。

ここに至るまで私に何が起きてどのような変化があったのか、お話ししたり聞かれることが多くなってきたので、今に至るまでの流れを書いてみようと思います。

連載スタートです!

呼吸度との出会いは、2021年5月湯河原ご縁の杜で開催された岡部明美さん、清水友邦先生のコラボワークショップでした。

その時は、清水友邦先生の事はまだ存じ上げなくて、どのようなワークをするのかも知りませんでした。

その頃の私は名古屋に住んでいた両親を自分の住んでいる飯田市に引き取り同居を始めて数ヶ月経った頃で頭で考えて一生懸命頑張っていました。

自分に試練を与えるように両親と同居し両親を介護することも菩薩行であると信じて優しく笑顔で接することができる私のあり方を学ばせてもらうためにこの出来事が起こっていると自ら選択をしました。

この苦難を乗り越えることができれば私の慈悲慈愛は育まれ人としての器が大きくなるのだろうとも思っていました。

実際に両親と同居を始めて介護をしてみると、自分の未熟さを思い知らされました。怒りや罪悪感や悲しみなど様々な感情が湧くことを抑えて、頭で考えることにより自分を保とうとしていました。

もうすでに体の不調は起きていて蕁麻疹や生理不順や不正出血、貧血などどんどん体調は悪くなっている時でした。病気を引き起こしている原因を癒し、感情を解放し潜在意識がクリアになれば病気は必ず良くなると信じていましたし、感情が癒されていない事で感情がコントロールできずにいる自分をまだまだ学びが足りないと思っていました。

自分の中でいろいろが限界の中出会ったのが呼吸道でした。清水先生の本を読んだことがないので、全く情報がない中呼吸道のワークを初体験しました。

その時も背骨に意識を置き、背骨を緩めるように揺らして第一チャクラから感じて声を出してエネルギーを解放するワークをしました。チャクラを感じながら声を出し大きな声で叫んだり泣いたりしました。これまで出してはいけないと、体に押さえ込んできた感情エネルギーが溢れ出しましたが、どのような感情だとか、どうしてその感情を感じたのかというストーリーには全くフォーカスせずに、ただエネルギーとして声で出したのです。そのワークが終わった時私は自分の軽さとすっきり感と楽しさを感じていました。このような方法もあるのだと知り嬉しくなりました。

呼吸道のワークが終わった後に、清水先生の奥様のプラダさんが私に「背骨を揺らすのが上手ですね、どこかで参加されたことがあるのですか?」と尋ねました。私は全く初めての参加ですと答えました。そう声をかけられて嬉しかったのを覚えています。

その後の時間が来た時と比べとても安心して楽しく過ごせました。私は直感でこれから呼吸道を学びたいと思った日です。

まだその時は呼吸道を学ぶ目的は正直わかっていませんでした。心も体も限界に来ていた私が藁をもすがる思いで学んでみたいと思ったのが呼吸道でした。

たった2、3時間の呼吸道ワークで私は幼少期から抱えていた死の恐怖が一気に襲ってきてまだ自我との分離がひどかった私は、そこから約2ヶ月間咳が止まらず喘息になってしまいさらに絶望しました。

これが変容のプロセスの始まりです。
つづく…