呼吸道とわたし6〜統合したかったんだと気づいたこと〜

2023年春分の日、誕生日を久高島で迎えました。
久高島で開催の呼吸道ワークショップに参加しました。

呼吸道、瞑想を通して最初はわからなかったグラウンディング力を養っていたことに気づき、外側に最悪な事が起こっても在り方はさほどぶれないという不思議な感覚を体験し、どうあれ大丈夫ってこういう事かもしれないと気づきました。

早池峰ワークショップが終わってから久高島ワークショップに参加するまで一回死んでまた生まれてきたってくらい別世界になりました。両親の在宅介護を終えて、養育里親として里子を預かり大変だった試し行動がおさまってきました。

暮らしの状況が一変し、自分で抱えて背負っていたものをおろし軽やかになったら、そもそも私が素晴らしい人格者でありたい願望が強く、慈愛の人になるためにあえて選択してたんだとすごくわかりました。

ついつい最悪の出来事にフォーカスし、それについて誰かに話し感情を再び味わい解決してくというストーリーにはまってしまいがちだけど、それはもう「今ここ」の本質の自己から離れていることをさらに強めるんだと気づきました。

話していくと楽になったり、やっぱり愛だよねと理解はできます。けれど自分が感じることから僅かに避けている感覚を無視できなくなりました。

瞑想を積み重ねるということはただ受け入れ見守る事から始まっていくんだとわからなかったことがわかった感じです。

様々なセッション、セラピー、リトリート、ワークショップ、セミナー、講座と受けてきて私は確かに変容してきました。

どの時間も大切だったし、涙を流しながら愛やつながりの素晴らしさを感じました。私を大切にしようと感じられる時間にもなりましたし、スッキリしたり、自分の価値があるような感覚や役立っている嬉しさも感じました。

そのような学びに参加した後は、その学びで感じた喜びや気づけた自分を認めて受け入れたい感じになり仕事も調子よく活躍できる事も起きました。

ただ変に頑なさが増すし、自分のやっている学びは素晴らしいと強まるのです。

夫婦のパートナーシップでなんか素直じゃなかったり、パートナーから「何のために学んでいるの?」と言い合いの最中に言われるたびに私も違和感でした。仲良く夫婦で暮らしたいのに、分離してく不思議。

暮らしの中で気持ちが安定し外側の出来事に振り回されなく暮らすとはどういう事かわかっていたつもりになっていただけで私はわかってない!!と学び始め10年経ちようやく気づいたのです。

愛を感じてハートが開き喜びの在り方と日常生活の自我の感情や思考で見てる世界に生きることをどう統合したらいいのかを私は心底知りたかったのです。

リトリートやワークショップで愛を感じハートを開く感覚はもう十分わかったから…けれど日常生活ではその状態は続かない。感情も湧く。被害者意識にもなる。そうやって大切な人との関係性がギクシャクする場合もある。それをどうしたらいいの??って事です。

久高島は3回目でした。

ホントにのんびりしたなぁーって時間でした。

ゆっくり時間が流れ…

マインドが静かになっていきました。

自我は不安や恐れ
それも体験したくてやってきた
だから不安や恐れが悪いわけじゃなくて
思い出すために大切なエネルギーでした。

表面で自我は揺れていても
根底には揺るがないなくならない本質の自己、真我が流れ続けている。

それを思い出し始めました。
楽しかった久高島。
私へのギフト。

この楽しくていいんだーって感覚を
ようやく思い出せた感じです。自由も思い出し始め自分で囚われていると思ってるだけで自分で縛っているのかもしれないと気づき始めます。

軽くなった在り方で翌月天河大弁財天社で開催された音霊呼吸道に参加し目覚めの始まりが起こりました。

つづく…