いのちの森水輪のボランティアスタッフ体験は自己の学びを深める時間だった

ボランティアスタッフ体験は素晴らしいものでした。また次回も行きたいくらいです。

ボランティアスタッフとして飯綱高原のいのちの森水輪に行っている間、旦那さんと子どもの2人生活なんですが、今回は結構2人で拗らせてました。

旦那さんが「何度も言い聞かせてるのに聞かない、できない」と怒り、子どもも内側が緊張してる感じで、それが子どもの友達や友達のお母さんにまで波紋が広がっていて、アラアラ…って感じでしたので子どもの話を聞いてみました。

大丈夫、そんな時もありますよ。旦那さん1人で大変だったんだろうな…いつもありがとう。

子どもの外側の世界に起きた話を聞いてからお腹の子、ハートの子、頭の子、それぞれの声を一緒に聞きました。子どもはずっと頭の子の声が主張しすぎて、固まった一つの世界に囚われてました。絶対向こうが悪い、自分悪くないと主張する頭の子の声。

本当かどうか、どちらが悪くて何が正しいのかを明らかにしようとしたり、外側の状況や見える態度や言動だけで判断しようとすると余計拗らせます。

腹の子の声にも寄り添い、それを無くそうとせずあると認める。ハートの痛みもただ受け入れる。子どもは「ハートに悲しいや寂しいや辛いってあるけど、嬉しいや感謝もあるよ」と言った。同じように存在してるエネルギー。悲しみは奥にあるハートのあたたかさを感じる入り口に存在してる。

一緒にイメージで嬉しいや楽しい、感謝のつぶつぶを拡張していこうと伝えたら、それは日本、海を越えて世界へ、そして宇宙まで拡張した。

「何これ?ハートの中心が地球になったよ!そっか自分がされて嫌なことを友達にしちゃってたんだ、あやまってくる」と学校へ行き、帰宅したら「素直に謝れた、仲直りした!自分が歌い始めたらね、クラスみんなが続きを歌ってくれた」と嬉しそうに伝えてきた。

ボランティアスタッフ体験は今ここ自己の実践の場でした。感情エネルギーが動いたり、カラダが限界だ!って時に今ここに意識を向けて自我を含み超えていく実践。その学びや在り方が帰宅した我が家で家族に波紋として広がる。そしてお仕事にも。

自己探求の道を歩んで世界に愛の関係性を映すこと。日本中、世界中あらゆる場で体験したい。

することの瞑想からあることの瞑想へ。

生きることが瞑想そのもの。

大人が本質の自己につながり、今ここにいきる瞬間の連続、今ここに気づき直す、その生き方の純粋な愛が子どもたちへ伝わり続ける。

今日できる最大限

エネルギーは瞬間瞬間動いているし、感情エネルギーも当然湧く。そこに囚われず今ここに意識を向ける。とどまる事はない。常に流れている。今目の前の在るに気づいていよう。

そしていのちの喜びを感じよう。

魂が震えるくらい喜ぶことをして生きよう。