二元論を超えた在り方を知りたい

最近どうにもこうにも収まらない感情が湧いてくる。出てきて言葉にし始めてるのでチャンスだとわかっている。だからここに書き出したい。

なんだか分からず自分のイライラが止まらないとかって時ありませんか?そんな状態、真っ最中。

最近私はうちで預かる里子がクラスメイトを殴ったとか、クラスメイトのお母さんにご迷惑をおかけしてた事をそのお母さんが言いにくそうに伝えてくるとか、里子さんが周りのペースを乱したり、クラスメイトに喧嘩をふっかけたり、私が「すみません、申し訳ございません」「本当にすみません」と謝る機会が立て続けに起きた。友達の気持ちを理解して行動できるようになるといいと支援学級の担任に伝えられ「そうですね、すみません」と謝った。

非常に気分が悪い。
冷静に里子を諭すどころじゃない。
猛烈な怒りが湧いてくる。

「それはやっちゃダメなんだよ!!聞いてるの?なんでわかんないの⁉︎」と里子に怒って説教してても、もう1人の自分が止めろ、自分を見つめろ!と言う。

自分の違和感に気づけよってメッセージなんだという事も学んできてわかる。

だから自分に問う

「これは何を自分が創造し映し出してる?」と。

この世界は全て自分が宇宙のエネルギーを自分を通して映し出しているのだけど、そう理解できない領域ももちろんあるから自覚できていない自我、感情エネルギーがキレイに流れていかないから外側の世界への投影が起こる。

里子はうちに来る前の児童養護施設でも同じユニットの子とトラブルを起こしていたのも聞いていたし、早くテレビ見たい、ゲームしたい、何にもやりたくない、面倒くさい、嫌なことはイライラし癇癪気味になりもう周りから言われても聞けない。

もーっ!!腹立つ!!
エネルギー、怒り、憎しみ、恨みが吹き出す。
里子に対してではない。私の中にあるだけで里子を責めたて続けることはせず自我の暴走は止めないと。

何があったの?何があなたをそうさせているの?と問いかけた時に一気に蘇ってきた。

酒乱の父親の気分で怒られ殴られた。
ものすごい恐怖だった。
父親が勝手に飲酒し暴れてガラスでケガをして迎えにいき、私が頭を下げて謝り連れて帰る。
理不尽な客の罵声にただ謝り続ける。
自分が謝り事をおさめる。
虐げられても屈辱を呑み込み
生きなければならない。
世の中は理不尽だ。
男は身勝手で女は責任を負わされる。

そんな被害者意識がもう止まらない。
泣いた。もうヤダ…と泣いた。

「私がなんで謝らんといかんの!?」
「私が何したって言うの?」
「私は悪くない!!!」

この世を恨んでる。絶対許さないって。

自分を許さない私もいた。

ダメな自分、最低な自分だと思い込む私。

だからダメな自分じゃないことをアピールすることが
生きるエネルギーになってる。私はできる!だめなんかじゃない!ふざけるな!って。

結局私は間違いをおかさないように生きたくて緊張感を持ち続け、でも自分はダメな人間だから人の責任を負い謝ることになる。

子どもの責任を持つこと、保護者ってすごい事よね。
覚悟が揺れる。逃げたい、手を離したくなってくる。
私が私に責任持てず逃げたくなるのに、子どもの責任なんか持てない。ダメな奴…ダメな奴…

頭が散々うるさく自分を責めまくり止まらない。「うるさい!!うるさい!!黙れ!!」と声をあげ自分で自分の自我の声に怒っていた。

自分のセルフワークで癒しのエネルギーを受け取りながら泣いた。そしてまた自分に優しくなれるように気持ちを落ち着けた。

私は自分を幸せに喜ばせる生き方を選択する。
楽々スムーズに幸せを創造する。愛を選択する。

人間はあらゆる領域の情報の影響を受けそれを自分だと思ってしまっている。人格、性質、性格、身体、思考、感情、DNAの情報、この地球の歴史、背景から生まれるエネルギーできてる。

もうやめよったら、やめよう。
愛、真我を思い出そう。

間違ってた事を里子にちゃんと謝ろう。

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