自分が知らない領域なんて無限にあることを知る謙虚さ

自分が知っていると思っていた領域は

知っていたつもりだったんだ…

なんてザラにある。

それは恥ずかしいことじゃないし

ただ知らなかっただけだ。

この地球に生まれて

できないことが出来ていく

知らないことを知っていく

できている、知っている

と思い込んでしまえば

もうそこで終わってしまうけど

知らないことが恥ずかしかったり

できる自分でいたかったり

その瞬間に

等身大の自分をそのまま

受け入れることからわずかに歪む。

私たちは本当は全部知っているし

本当は全てが可能だ。

だけれど、鎧を纏うように

「自分はすごくて全部知っている

わかっている、できている」

ってバリアを張ってみても

もうそのエネルギーは隠せなく

なっています。

周りには違和感しか伝わらなく

なっている。

その違和感はまた感じたものへの

問いかけに重要なので

違和感を感じさせてくれる方の

存在はとてもありがたいわけです。

「どうして違和感なの?」

「なぜモヤモヤしたの?」

違和感やモヤモヤやイライラを

感じる自分がダメでもないし

感じてる自分もいいんだよと

そこをありのままに許すのではなく

感じた違和感やモヤモヤやイライラの

奥にある自分の正しさや

自分の偉大さを忘れてしまっている

ことに気づけるから

違和感はありがたいのです。

全部感謝に変えましょうとか

許しましょうとか愛しましょう

ってしていたら苦しいだけ。

気持ちは湧いてくるもんだから。

ありのままの自分を知るから

謙虚さや思いやりは自然と湧く。

目に見えない世界に偏り

地に足着きにくい生き方は

サイキックフックをかけるし

サイキックフックにかかる。

それすら無意識に行われる。

でもどちらか一方では起きない。

双方が引き合うから起きる。

生き方や在り方や考え方であり

霊が見える、能力があることが

スピリチュアルではないからだ。

目に見えない世界のことを

なんでも知っている、出来ている

というそんなエネルギーの奥の

愛されたい、みてもらいたい

認めてもらいたい

そして、フックにかかる方にも

そんなエネルギーがただあること

をありのまま認めたら

磁石のように

サイキック的なエネルギーで

繋がってコントロールする、される

という領域にはならない。

安心安全に目を覚ましていこうと

しているのだから

目に見えない世界のエネルギーを

扱う人こそ、自分の内側に意識を

向ける。ハードにダメ出しをして

成長していく話じゃないよ。

自分にどこまでも優しくできるという話

自分なんてまだまだと謙遜は美徳

であるけれども、自己卑下とも違う。

自分が創る世界にまずは集中してみる。

ただ見せてくれてるだけだから。

等身大の自分をそのままに見るから

知らなかったんだ

知ってると思ってたけど

知ってるつもりだったなんて

そんな謙虚さが大切な気がするのです。

そしてこんな捉え方を

あー知ってたつもりで

知らなかっただけなんだな…

と笑う日が来るかもしれない、笑笑

気楽に♬

知らない宇宙が広がることを面白がれる。

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