短い時間でも日々の積み重ねが大事。毎日の暮らしの中で焦らず、人と比べず、頑張り過ぎず、自分にダメ出しせずやっていく。
これは自分にも伝えている事。ひたすら自分に意識を向けて。私自身日々実践中です。
気づいたこと、分かったことを大切に毎日の生活を送るようになり、内側から溢れ出るエネルギーを感じ行動するようになりました。
自由は私の内側にあったんだと気づき、思考の声とそうでない声の違いに気づくようになってきました。あらゆる関係性に自分の過去からの思考を投影することなく生き始めています。
ただ私の映し出す世界には色々な人がいるからいい人はやめて境界線は引くしハッキリと示し気持ちよく流れるエネルギーを感じます。
自分がしっかりグラウンディングして、本当の自分とのつながりを感じながら過ごすことです。
情報過多な今の世の中で自我の範囲で未来を予知し発信をする方々もいて、だからこそ自分がどこにつながりたいか決める事や見極める必要があるということです。それには自分とは何かを知らないと見極める事も難しいですよね。
自我、思考の罠に気づき本質を見極めていく。気づかず自我の範囲を超えないあらゆる情報に反応し振り回され生きるのも自分の選択だけど、古いやり方から抜けられず不足感を感じ、外側の何かで埋めるのは、根本的に満たされるってとこがわからないから結局迷いますよね…
迷ってもいいのですが。
どのみち大丈夫なら、自分にとって最良の選択をして生きること。誰かや何かとつながる前に本当の自分とつながりましょう。
本質の自己につながるとはどういうことか、自分の内側に意識を向けていき今ここに在るとはどういう事なのか気づいていく道を歩いていきたいと私は思っています。だから不完全でも大丈夫と安心感が増しています。
安心の感覚は外側の何かで満たされる事とは違う、今みで恐れから自分を囲んでいたものに違和感を感じて少しずつ削ぎ落としていく、そんな生き方に響き合える皆さまと、つながりながらそれぞれの人生を尊重しながら歩んでいきたいです。
他人の目を気にして遠慮したり、他人の幸せのために動くという思考、エネルギーをコントロールし自分を満たそうとする意識に気づいたらやめて、くつろぎ本当に与える生き方に切り替える練習をしています。
無意識なので気づいていない所は全くわからないし、わかりかけている所もわかりづらいけど、本質の自己とのつながりが深まってくると違和感があるからわかりやすくなります。だからより一層安心感につながるのですね。
愛をベースにしていてもコントロールや呪いが入るのが人間。そこに影響されない生き方になるのが実感してるところです。
エネルギーもらっちゃうとか取られちゃうって意識も本質の自己につながるとやっぱ自分か…ってなります。
心配ない、不安がない状態というのは幸せな事しか起きないよ、大丈夫と目を背けて生きることではない気が私はしています。
今生きている世界を観ること。
まさかな出来事は誰の人生にも起こります。災害や病気や大切な人の死など…
その時に嘆きや悲しみ、痛みは必ずやってきます。そういった人間のあらゆる感情の波を受け入れられる心身の状態、あり方を普段から練習し気づいておくと、まさかな出来事に完全にのまれてしまう事なく在れるという事かなと感じています。
私に起きている事ですが、バリ島から帰ってきたら母の脳梗塞の状態は進んでいました。少しずつ母は肉体を離れる準備をしている感じがします。
今まで不安や心配が強すぎていつも気丈に明るく強く生きてきた母が、昨年あたりからものすごく泣くようになりました。子どものように泣く母を好きなだけ泣かせるようにして止めません。
長い人生で抑圧してきたエネルギーを今泣くことでいっぱい解放しているような感じがします。大声で泣く母にずっと寄り添います。
私が可哀想とかおもったり罪悪感とか余計なお世話で何か言いたくなるとか自分の自我がブレてしまうとエネルギーの流れを止めてしまいます。でも自我は痛みや悲しみを感じていますから母は母の人生において起きている事をただ寄り添うって自分の存在のチカラがすごく試されるなぁと思います。
話が逸れましたが…受け入れることが不安や心配も含んで超えていく事かなぁと思います。だから自分が平和だと思えば世界は平和で何も心配ない!災害も来ない、地震も起きないって言って備える必要がないやら、心身をエネルギーレベルで整えているから病気はない、保険に入るって事は病気になる前提の恐れを自分が創っている事だから保険は入らなくていいとか、目に見えないエネルギーをわかると言っている人たちの独特の考え方もいいですが、私は何もしないのではなく、過去から学び、体験された方々からの教えに耳を傾けて、まさかに備える事は大切だと思います。
結局私たちはどうあれ自分が信頼できる生き方しか結局できませんし、それには自分を深く感じて意識を拡大していった時の気づきを大切にしていく事ですよぬ。