つながりとは求めるものではなく在るもの

11月の満月が過ぎ、11月も終わろうとしています。今月2023年11月は私にとって忘れられない1ヶ月になりました。今感じていること、気づきを書いてみたいと思います。

日常生活にすっかり戻り仕事も自分の予定も忙しく過ごしています。そうやって過ごして自分の感情に蓋をして元気に過ごしています!というわけでもありません。かといって悲しみに暮れ、寂しさでどうしようもなく涙が止まらず日常生活が辛いというわけでもありません。

気づいたことがあります。悲しい気持ちや寂しい気持ちを受け入れて心の痛みを感じることを許せば許すほどアンジェロの存在や父の存在がともにあるつながりを感じるということ。

身体を感じて滞りや痛みやコリやハリを流せば流すほどエネルギーは涙としても出るし声としても出ます。そうすると同時にここに分離などせずに在るって感覚が中心から広がっていく感じがするので悲しみや寂しさってとどまるものじゃないんだなって気づきます。

もう大丈夫、元気ハツラツです、笑顔です!みたいなポジティブさでもなく、悲しくてもっとこうしてあげられたかもしれないって後悔とか孤独感に居続けるわけでもない。どちらにもとどまろうとせずにその瞬間のポイントに揺れていていい感覚です。無理をしないし、心が疲れている自分に気づいて呼吸もします。

つながりとは求めていくものではないと気づきました。

在るんですから。

怖がらずに痛みを受け入れてみる、その痛みにどっぷりとはまり続けられないくらい揺れて漂っているエネルギーだと感じると、何にも怖くないの。

それはアンジェロと父がくれたギフト。

私がお金と成功とか物質的な物や出来事ではない本当に心から知りたかったギフトをくれました。ただギフトだと言えるのは本人に起きた事だからだと思っています。

他人がスピリチュアルな視点だと言って死ということは自分にとってギフトだよって伝えるのはとてもデリケートなことですし辛く感じてしまう人がいらっしゃるかもしれないなとふと思ったのです。

気づきは本人のプロセスがあるし、本人の感じる事だし、私もまだつながりたいって真剣に求めてた時に大切な存在が亡くなって他者から学びやギフトだとか言われたら違和感だっただろうと思います。

スピリチュアルって見えないエネルギーを解ったり扱えたりする人のことみたいな言葉になってますが、本来スピリチュアルな人、そうで無い人なんて分かれてなどいませんしね。

アンジェロと父の体が無くなったことで気づいたつながりは、自分のパートナーシップにも大きな変化をもたらしました。

パートナーと分かり合えない、自分を理解してもらえない、この人ではない誰かなら自分をわかってくれるかもしれないと外側の誰かと繋がろうとすればするほど分離は大きくなっていくのだなとわかり、共に暮らすこと、共に生きること、結婚して9年ようやく細胞レベルで少しずつ振動してきたような感じがあります。

自分の活動や仕事も大切にしながら暮らしがこんなに夫婦が穏やかに暮らして幸せな日が続くってことを映し出すことができてありがたいです。

たった1ヶ月で見える世界と内側のつながりの感覚が全く変わってしまいました。

これも私の道の途中ですが・・・

自分自身が感じることを大切にしていきましょう。

止まらず揺れてみましょう。悲しみが襲ってきても大丈夫。怖くなっても大丈夫。

喜び溢れてキラキラで元気いっぱいな自分を創る必要もない。

どちらにも揺れていることを許して

今ここだけを通りすぎていきましょ