長野県里親制度、認定登録に向けて番外編〜言い合いしてわかった平和の定義、どちらも愛でした〜

仲が良い夫婦とはどういうこと?

前回なブログで言い合いに

なったという件について。

里親制度のことからは少しズレます。

旦那さんの「妻が里親になりたいというので

それを尊重しました」

と基礎研修のグループワークや

面接でのその発言に

私の違和感として反応した。

やらなければならないことじゃないし

誰に頼まれてやるものでもない。

実際私も旦那さんも

わからない中で進んでいくのだから

うまく言葉にしきれない旦那さんの

気持ちもわかる。

無責任な人じゃないのも知っている。

「奥さんが妊活してたけど

ストレスから体調を崩して

もう子どもが欲しいという気持ちは

言っちゃいかんなと思って

言わなくなった」という話の内容に

ここで私が勝手に罪悪感と無価値観に

スイッチ入りました。

被害者意識も出てきた。

そんなことを言わないでよ!!みたいに。

自分が妊娠、出産、子育てという

道もあったら嬉しいのは嘘じゃないし

女性として生理がある以上

どちらかなんて決められないし

決めないことを今は決めていて

揺れるものだと理解して選択したから

感情が湧いてくることも自然だ。

が、こうなると連鎖的に彼の愛や

優しさを汲み取れなくなってくる。

違和感を感じた内容について

自分が自分と向き合っていけばよく

夫婦で言い合いをしていても

意味がないのはわかってる。

と思っていたが、

言い争いをしたからこそ

衝撃の事実発覚という流れに。

「激しく言い争いをしても仲良し」

だと旦那さんが心底信じていたとわかった。

落ち着いて翌日

よくよく話を聞いたらわかってきた事。

「激しく言い争うことは仲が悪い」

と私は信じていたわけで…

私は夫婦の関係性で平和な状態を体現したい

パートナーシップをより良くしたい

って必死にチカラをどれだけ

反対の方向へ注いできたのかという

こともこの言い争いでもっと気づいた。

無意識ってホントに

わからないもので、

激しく言い争うこともケンカもない

穏やかな関係性が素晴らしいし

大人な関係性だと憧れていたからだ。

それが良い事だと信じていた。

そしたら旦那さんが

「ケンカもするし言い合うけど

出会ってからずっと仲良いよね?

そう思い込んでたけど

違ったわけ?なんかショックだわ…」と

言ってきた。

え???????待て待て…

はてなが空からたくさん降ってきて

ぽかーんとなった。

私の仲良しの定義が

ケンカしない、同じ価値観、

同じ考え、ならばどちらかが折れたり

我慢したり、従うとか

ガチガチの縛りだったから

シンドくなってた私に気づいた。

どうあっても幸せだって言ってて

すごい囚われてた、お恥ずかしい。

だから自分の言うこと、相手の言うこと

全てに緊張するんだわ…

争わないように、食い違いがないように

誤解されないように

私の感覚を集中して、私の得意分野な

相手そのものに私がなってしまおう。

そうすれば同じなのだから争いようがない。

だから言いたいことを言わない

相手に合わせていこうとする

平和を創ると信じている愛。

がしかし私はあらゆる違いを

味わいに地球に来てるのに

自分を無くしずっと外に遠くに

感じることを追いやっていくから

自分で自分に憤り悲しくなる

ループから抜け出せないことになる。

アゴがはずれて下に落ちて地面を

割るくらいの衝撃だった、笑。

旦那さんからしてみたら

私が理解できなかったのが

そりゃそーだわと笑えてきた。

「仲が悪いから良くしたい世界」と

「元々仲が良いという世界」で

全く逆だったから。

でも根底のわかり合いたい愛は一緒なのだ。

ようやく表裏をそれぞれ

見ていただけだったってわかった、笑

ホント恥ずかしい。けどこれも私だし

こういうことを書いて残しておく。

夫婦の間でこじれる時って

見てる世界が北極と南極くらい

全く違うからなんだと知った。

そんなことありませんか?

私たちの関係性というやつは

何も男女のパートナーシップだけじゃなくて

あらゆる関係性に現れるもの。

特に近い関係性ならなおさら。

親子、兄弟、夫婦、義理の親子

上司部下、同僚、仲間、

友達、ご近所さんとか…

つまり、平和はすでにある。

言い争いをやめる努力でなく

そこに全て愛があると気づいて

信頼していく視点を

広げていくことです。

全部自分が創造しているとか

確かにそうなんだけど

だからといって他人とコミュニケーション

をしなくていいとかじゃないですよね。

平和が一番、争いはイヤと

結局、楽しくない雰囲気に

なるのがイヤだからと言いにくい話を

言わないようにして避けたりする

傾向は、無難にそれでもいいけど

本当に相手との関係性で

自分が共にいたいなら

余計にこじらせたりすることを

やめて怖い気持ちを抱えたままでも

伝えてみることも大事な時もあるって話です。

だから相手にイラついたり、寂しさや

悲しくなったりして感情が揺れても大丈夫。

自分の声を聞ける大切なきっかけだし

相手に本音を伝える大事な場面に

きただけかもしれないから。

本来、正直さは誰も傷つかないのです。

関係性でどちから片方だけが

こじらせてるってこともない。

相手が未熟でわかってないだけ

相手が間違っているだけ

相手が離れていっただけ

相手が攻撃してきたから

相手に利用されたから

相手に傷つけられたから

または

自分が悪いから

自分が傷つけてしまうから

自分が間違っているから

自分が平和を壊してしまうから

自分に価値がないから

どちらだったとしても

自分か相手かの間を行ったり来たりで

愛は見えてこない。

そんな関係性はこの世界には

存在しないのだから。

言いたいことを自分が言っても大丈夫。

自分は揺るがないと思えるくらい

自分との信頼、正直さ

を育んでいくことが必要な時も

あるかもしれません。

争わない、戦わない生き方や世界

言い合うことを避けることが大切

という人たちもいるし

言い合うことで理解し合えるし

どんなことも引き受ける覚悟をして

自分を正直に生きると感じている人

たちもいるということ。

どちらも共存できるし、している。

自分がどんな生き方がしたいか?

自分が何が好きでどんなことが

いのちの喜びか?

そこに集中したらいい。

どんな表現、行動、態度だったとしても

人間が人間を見て

あの人はあーだ、この人はこーだ

正しい、正しくない

本物の愛か、そうではないか…

ホントに無意識だったけど

自分何様⁇そんな自分と向き合って

自分にどこまでも集中して

自分がやることをやるしかできない。

人んちを覗く暇があったら

自分ちの掃除に集中する。

そうしてようやく周りの現象や

存在する世界が変わってきたのだ。

自分がかなりなジャッジの

勘違いの世界にいたのがよくわかります。

ホントに抜けてゆるみ始めた

感じがしている。

知らなかった自分を知るとは

新しい自分を知るということ。

それもこれも経験ですし、どんな自分も

愛おしいからどこまでも

絶賛進化中なのです。

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