素直になることが大切だと心屋仁之助さんや本郷綜海さんの言葉で改めて思う。素直になってよく笑えるようになった話

大人という在り方を色々勘違いしていった結果

素直に感情を相手に伝えることを

忘れていったり

自分の学びとか

クリアにすることを履き違えて

本当に伝えたいことを

ごまかしていった。

そうやって頭で

平和や調和を意識して

慈悲だ慈愛だと言って

目の前の人に伝える言葉を

失っていき、臭いものには蓋をする

クセがついてしまっていた。

あーでも
卒業卒業言ってると

これ読んで
Beトレ卒業しよう!なんて決めるひとも
きっと少なからずいるんだろーな(涙

卒業って
いいことだと思いながらも
卒業されるほうは寂しいものでね( ´∀`)

また遊びに来てね(違

心屋仁之助さんという方に

お会いしたことはないし

書いてる全てを

理解なんてできないけど

たまに気になるタイトルの

ブログを読むと、言葉が響く。

この方が人間らしいなと

思う。隠してない感じが。

頭ではいいことと思っても

寂しいものだ。そんな気持ちも

共感できる。

世の中の大きな影響力を持つ方々って

クリアに対等なエネルギーを世界に

放たれている気がしません?

やっぱり内側の世界って

そのまま世界に現れるのですね。

心屋仁之助さんつながりで

もうお一人

本郷綜海(ほんごうそみ)さん

スピリチュアル業界で大きな

影響力を持たれる

この方の投稿でみた文章に

ハート打たれた。

【私は年中それを忘れる】

「人は他人に
自分の見たいものを見るのだなあ」

と自らが鏡となって感じる。

私の同じ行動や資質が
ある場所では(人には)
尊敬や愛すべきものとして
捉えられ、

ある場所では(人には)
変人、近寄り難い、恐い、
などと捉えられる。

「綜海さん、大好き〜!」

とおっしゃってくださっている
読者のあなたも、

生の私に会って見たら
どう感じるかはわからない。

人はみな
「自分」というフィルターを
通して「他者」をみる。

「世界」を見る。

そのフィルターを
お掃除しては

少なくてもこの世界を
楽しんで生きられるように
お手伝いするのが
私の仕事だが、

そういう私も
年中フィルターを曇らせる。

一度でも純粋な目で
モノを見たことのある人なら
わかるだろう。

そうして曇った目で
世界や人を見ていると

それがその時は
絶対的本当のように感じては
思考や行動で反応をしたり、

真実かのように
信じてしまうことは、

たとえ一時的には
エンターテイメントでも、

最後は
自分を傷つけるのだ。

私は自らの見る目で
汚した

他人と世界に
心の中で謝罪する。

あなたの美しさが
見えなかっったのは
私の責任です、

ごめんなさい、

と。

そして自分の影を
見せてくれたことに
感謝をする。

こうして私は私を
洗う。

私のフィルターを
掃除する。

時々何日も何日も
野放しにしては、

自分の正しさに
固執する日もあれど、、。

「あれが良くてこれは悪い」

「あれが正しくてこれは間違えている」

「これが美しくてこれは醜い」

もしかしたらそれは、
この現実という
共同幻想の中を生き残るために
必要な見方かも知れない。

私も毎日、毎日
この罠に落ちる。

だけど本当は
いつだって

「あれもこれも美しい」

なのだ。

「あなたも私も美しい」

なのだ。

「何一つ残らず、世界は美しい」

なのだ。

つまり私たちはみな美しく
その美しい世界の
一部であり

すべてなのだ。

そしてそれを私は
年中忘れる。

スーッと入ってきた言葉たち

好きだと言う人もいれば

嫌いだと言う人もいるし

どちらでもいい。

自分が感じたままでいいし

その自分の感覚を信頼していくのだ。

綜海さんにもやはり

お会いしたことはないし

全てを理解して感じたわけじゃないけど

少なくともこの文章からくる

正直なエネルギーが

伝わってくる感覚から

この文章は好きだと思った。

人間らしくて。

私は宇宙人みたいな人たちが

人間らしく生きていることが

たまらなく好きだ。

自分に素直に正直に生きること。

それを根本から向き合い直し

生き直していく中で

よくココロから笑えるようになった。

今の時代だからこそ

一切お金もかからず

私たちは様々な情報から

素晴らしいなという

ハートがゆるむエネルギーに

触れられる。

勉強になるしありがたいことだ。

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つぼちゃんもみほぐし