どんな自分も赦していく、自分が光であることを許していく

どんな自分も大丈夫ぢゃん

ブログセッションを受けたことを書いた

こちらのブログ。

ぞのくんが私のブログ紹介とともに

私の印象も書いてくださり

どう見られているのか

自分では全く無意識な部分を

言葉にしていただけると

素直に嬉しいです。

私は「挑戦する人」に見えるようです。

以前ワークショップをうけた

「エニアグラム」でもタイプ8

と出ました。

その時のことのブログはこちら

私がテストの結果で出た

タイプ8は挑戦する人なのです。

言われてみれば

人生を広げていこうと

様々なことを挑戦し

体験してきたかもしれません。

30代後半までは自ら

闇のさらにまた深い闇に自ら飛び込んで

自分の内なる闇に完全に共鳴しながら

生きていたので、冷酷、冷淡、

怒り、憎しみ、恨み、妬み、呪い

優劣の争いや、搾取、攻撃性、絶望、

自ら喜んでどこまで人間は闇に堕ちるのか

という挑戦だったのか?と今では笑う。

相当な魂の震え方だったから

光が無限なら闇だって底無しで闇

どこまでだって広がるから

恐いよね、たしかに。

「じゃあ今はそんな闇な黒い自分は

無くなったの?」

「イヤ、そんなことはないよ」

不協和音を自ら奏でれば

外側の世界が教えてくれる

ようになっただけ。

不協和音になるもんは

しゃーないな。

人やあらゆるエネルギーは

それくらい流動的なものだから。

固定されて、そうで在り続けるなんて

のがそもそもありえない。

だって私たちは

幻想であり無いのだから。

だからまた整えるだけ。

あぁ、私妬んでるわ…

私ジャッジしとるわ

私が正しいって押し付けたく

なっとるわ

見返りカモーン!となっとる、笑

と気づける。

そして相変わらず怠けたい私も

いるので「めんどくせー」ってなる。

全部が。食べるのはめんどくせー

とはならんから自分でウケる。

じっとするのが回復法かのごとく

嵐が過ぎるのをじっと待つように。

めんどくせーと思う自分も許して

貝になる自分もいることを知る。

挑戦し続ける人だからこそ

突っ走ってないことを

自分で責めていたし

何とかしなきゃとその都度焦って

空回りしてみたけど、

貝になることが一生続くなんて

あるはずないってわかるから

今はじっとする時もただ過ごす。

もうそうなんだし

今瞬間…そうなんだから。

心地よさを選択したら

瞬間に気分が変わること

フラットになることも知っただけのこと。

ただもう闇を深める挑戦ぢゃなく

光をより広げることを

挑戦していきたいって今は思うから。

人生の挑戦はいつも一人ではなかった。

これからも一人じゃない。

たまに一人ぼっちだな、私って

孤独感がふわってよぎるけど、笑

スネてるよねってなる時。

が、大きく変わろうとするとき

そこには必ずサポートしてくださる方や

共に挑戦する仲間たちがいた。

見えない存在も助けてくれて。

ネガティブな感情も

ポジティブな感情も

全く同じ「味わい」なだけだと

自分のままを赦していく。

自分の魂が光であることを

許していくことを広げていく。

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