怖がらずに感じてみる。闇に光を当てるから光の明るさに気づく

怖いから目を背けたい。感じないようにしたい

私は動物虐待だったり

ペットショップ業界でも

一部の悪徳業者による酷い行いに

一切目が向けられなかった。

入ってくる情報を

極力拒絶していた。

朝、テレビのニュースから

悪徳業者が動物を店に放置し

行方不明になってしまっている

と報じていた。

私は隣の部屋にいたので

画面は見ていないけど

流れてくる情報に

一瞬にして激しい憤りが湧き

旦那さんに「こういうニュース

スゲーやだ!」と言って

テレビをイラついて消した。

その後、もう目を背けるのを

やめようって今日はなぜか思った。

飢えていく…飢餓感

助けを求めても

どうしようもない諦めと絶望

罪悪感とか。

自分は悪くないって意固地に

なってる奥の気持ち。

悲しくて悲しくて

感じたくなかった領域を

ようやく覗き、内側にある

そのエネルギーをただ感じ

大粒の涙が久しぶりに流れた。

飢えて死んでしまった。

それをどうすることもできないと

外から見るしかできない

決して何も感じてないわけじゃない

でも何もしない…

放置し続けてる状態

私の中のさまざまなレベルや

あらゆる領域で

なぜこんなにも反応し悲しく

なったのかが、少し見えてきた。

色んな感覚が繋がった。

「食べなきゃ死ぬ」

この囚われを今ワークしていて

そことの繋がりも感じた。

生と死

何度かこのテーマに向き合ってますが

また一段深い領域に来た感じがする。

動物たちがかわいそうと

外側に見たことをジャッジし

憤ってるだけでは、見えてこない。

反応は、自分の中に元々あるものだから。

そして境界線のこともある。

共感力は大事だけれど

境界線が曖昧になり共感しすぎると

自分が混乱することになる。

それでも怖がらずに感じてみる。

自分の奥のそのまた奥の気持ち。

真っ暗で見えにくい、そこに

光を当ててみる。

そこに光は元々あったし

愛だったんだとわかって

抱きしめられるから。

過度に大きく見せようとすることも

自己卑下することも必要ない。

誰かや何かを批判し、裁くことも

しなくていい。

でも大きく見せたり自己卑下したり

自己価値を感じられない自分だったり

ジャッジしたり拒絶する自分が

悪いわけでもないから。

闇を斬り離そうとする前に

まっすぐ見ていける

自分を育んでいこう。

お友達とのLINEのやり取りで

このブログの言葉がサポートに

なったってことを思い出した。

光が眩しいくらい増したことで

起きてくることがある。

ここを理解しないと

ただフワフワ楽しい〜

って地に足つかなくなる。

個人レベルで向き合うことが

出てきたときに、すぐに

向き合いたい人は

サッサと向き合って終わらせるし、

向き合うタイミングが来た時でいいと

先延ばしにしたっていい。

そういうリズムの人もいる。

ただ1人では向き合っていくのは

難しい。

覚醒をして、潜在意識と顕在意識の壁が開くたびに自分が抱えていた問題の自覚、自分の意識に気付いていくプロセス、必ずこの現象が起こります。

しかし、内観できていないと、そういう風には捉えられず混乱や混沌、苦しさだけで終わってしまうかもしれません。 

内観は、単純に観るという行為だけでは出来ません。被害者意識を終わらせていない場合、課題を見ると他者を責めるだけで終わるし、自分の弱さや愚かさを認められないと、内観はできません。更には、劣等感と優越感を超えていないと内観できないしある程度の罪悪感を解放していないと、自分を責めるだけで終わってしまいます。
 
自分に活かせたり役立てたり、進めたりするように内観できている人、本当に少ないです。
 

ある一定の意識以上じゃないと
そもそも内観できないのです。
内観にならないというか。
 
 
そして、抵抗が発生しますので
特に、自分のことは内観しにくく
わからないということがあります。
当事者なので。

だから、投影を超えられている
覚醒をサポート出来る
他者とのセッションが
重要になってくるわけですが。。。

これ、すごくわかります。

1人ではわかるはずもない

領域があると理解できてくると

セッションを受けたり、サポートを

受けることが全て共依存ではないこと

がわかるし、誰からサポートを

受けたいか見えてくると

私自身経験から感じています。

仲間にサポートを受け

クリアできる領域

セミナーなどを受けてクリアになる領域

Ayaさんの言葉通り

『投影を超えられている覚醒を
サポートできる他者』

だからこそ超えられる領域

があるというのも経験から

言えることです。

自分がどうありたいのか

どう生きたいのか、どこにコミット

しているのかで違うと思うし

エネルギーやココロを扱う

お仕事をしているなら

責任を持つ生き方として

必要なことな気がします。

私自身何かしらの波動調整や

セッション、ヒーリング、

エネルギーワークでサポートを

受け続けています。

たまにイヤになるけど、笑

でもクリスタルボウルの音色が

好きだから、やっぱり活動したい

って湧いてくるので進むのですな♬

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