自分の世界が変わった実感

ただ事実を見ていくとブレにくい。

父親が認知症と診断されてから

3年。そのまま寝た切りになる

勢いだったが、私と母親、そして

亡くなった祖母が頑なに握りしめて

いた囚われを解放したら

父親がなぜか回復をした。

治るわけではないし

コントロールできる話じゃない。

アロマやプラセンタサプリなど

できることはしながら

過ごしていた。

3年経った今、認知症の症状でもある

「キレる」ことが酷くなっている

らしい。エゴな領域で関われば

間違いなく、私は飲み込まれる。

たとえ病気だろうと、ハイアーセルフ

魂に愛は響いていく感じがしている。

一歩ズレると蓋をした上っ面ポジティブ

シンキングになるので、よくよく

自分の内側を知る事が大切だなぁと思う。

人間なので感情は味わう事に

蓋をする必要はないから。

認知症じゃなくても

ものごころついた時には父親は

アルコール依存症の酒乱だったので

家に穴があき、食器棚は倒され

よく割れた食器を拾い

エスカレートすると

対象は子供になり虐待となった。

そんな家庭環境だったから

男性を恐い存在だと

思うようになったとか

復讐の対象として男性を見るとか

そうではなくて、元々

その恐れや分離したエネルギーを

統合して体現したい、知りたいよー!

という好奇心旺盛な魂だから

そんな人生を私は選択し

生まれたに過ぎない。

今じゃこんな感じで

書いてますが、親との関係性で

つくりあげた思い込み、勘違いが酷く、

完全な自分の思うような愛を

与えてくれるのが親でしょ?

という幼稚で未熟な

思い込みに気づいた時には

小っ恥ずかしかった、笑。

そこには父親との関係性かと

思いきや、母親との関係性が

絡まりまくっていたことをようやく

向き合えるようになっていった。

数年かけてたくさんの思い込みを

旦那さんにもサポートして

もらいながら、学び続け

ただフラットに

していくことを継続してみて

「傷つけられたわけじゃない」

心底、嘘偽りなくそう感じる。

自分の人生は自分の責任で生きる

ことがこれほどまで自由なのだと

わかったから。

今父が病気の症状でキレまくる事で

少し前の私は、とてつもなく

怒りや憤り憎しみや悲しみや恐怖を

一気に発動させ反応していた。

身近な存在だから余計に。

反応しにくくなる事は

来るのだろうか…と半信半疑、

疑心暗鬼のまま、でも自分の内側を

クリアにすることに進み続けた。

関わらなければいいだけの話な

気もしたが、それも私の中で

違和感だったので、親と疎遠になる

選択もありだし、どちらでもいい。

私は、関わり続ける事で

キレる人が理不尽な人が私の中の世界に

居なくなるなるように排除することに

意識を向けていた自分に気づいた。

そうではなく、たとえ

はっ?って事故みたいに

父親のキレるエネルギーの

流れ弾に当たっても

私の今ここの幸せとは

なんら関係がないことを

今回実感した。

自分が戦わないこと。

どこまで平安で素直なエネルギー

を放つ。それは時に家族にとって

クリスタルボウルを通しての光は

眩しいかもしれないから

浄化も起きるだろう。

また自分が他人に光を見るから

浮き彫りになる自分の闇を

拒絶したり正当化するかもしれない。

すぐには受け入れ難いみたいに。

それすらも真っ直ぐに

深刻にならずに時にはユーモアで

向き合っていけば

自分の真の幸せには何ら

差し支えないことを知る。

これが私だという生き方になっていく。

そんな自分との向き合い方の

練習をコツコツと。

地に足つけた生き方に。

どこまでも自分の神性さを尊重し

自己肯定感の高さを感じる在り方は

素直に感謝し謝ることが

できる在り方を創る。

負けるとか屈するとか

ずっとそのエネルギーに囚われて

いた頃に比べて、何より

私自身が自分の無限の愛そのもの

だと感じる生き方がただ楽なのだ。

「そこにキレる父親がいる」

ただそれが事実なだけ。

身近な人の理不尽さ、キレ具合を前に

いつしか私の創る世界は

また無理なく捉え方が

変わっていたのだなぁと

思ったお話。

この波動がやっぱりすごい。

慈悲、慈愛です。

そして今週再び見た

「カンタ!ティモール」

この映画のおかげで意識が

まだグンとシフトした感じがする。

明日上映会ありますよ。

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