自分が気づきながら暮らすこと

人間には感情があります。

その感情に敏感な人もいれば表現しにくい人もいます。

あまり具合が良くないアンジェロと暮らす日々。

アンジェロとの時間がもうあまり無いのかなと思うと意識がアンジェロ中心になります。

ある方に「まだ突然じゃなくて別れの時間をもらっているからいいよね。もう十分生きた年齢だし。だって突然だったりまだまだ生きられる年齢で亡くす方が辛いよ」と言われた時確かにと思う反面若干違和感でした。でもそうなんだと思い込むことにして苦しかったのを覚えています。

権威ある方の言葉なら尚更その言葉は正しいと思って受け入れがちだけど、自分の中の違和感を無視しない事が大切ですね。結局どんな素晴らしい人でも人間なのですから。

敬意は大切ですが捻じ曲げた崇拝する愛のパターンから卒業しないと救う人、救われる人みたいな関係性を生み出しやすいなぁと感じています。

話は逸れましたが、私はアンジェロが15歳で大往生だからとか徐々に弱っていってお別れの時間をもらえてるから辛くない事はないとハッキリしてます。

本質の自己と繋がる瞬間の意識があるから【なにも分離してない】とわかり【あぁ辛いと感じているのはマインドなんだなぁ】と気づく日々を送っています。

パートナーは共感するという感覚がよくわからないようで、本人も言っていまして時々寂しさみたいなものを私が抱えます。

理解されない=愛されないというマインドのパターンに囚われ出すと私は怒り悲しみ相手を攻撃します。というのがこれまでのパターンです。

夜中に痛みや苦しさで起きてしばらく眠れないアンジェロに寄り添い手を触れて私も寝ずに起きています。

明け方ようやく眠れてもすぐ起床。朝ごはんやお弁当作りやお見送り私も仕事や予定をこなし、しんどさを理解してほしいなぁと以前はやりながらイライラしてました。

今は素直に頼みます。朝ごはんもお弁当も里子さんのお見送りもパートナーができますし、自分がやらなきゃいけない事だと必死に縋ってました。

もう一つはパートナーと里子さんはアンジェロが死に向かっている事とどう向き合っていいかわからないのか全く変わらず居ようとして無視に近い感じで暮らしています。わからなくもないです。

アンジェロが目線で追って触れ合いタイムを作りたいとビームを出していてもほぼ届いていない。

アンジェロはこの家で私たち家族をずっと見守ってきたので私とパートナーのケンカが一向に止まないと吠えて「やめなよ!!」と仲裁に入ってくれてました。

里子さんが来てからは里子さんの側にいて寂しくないように見守ってくれてました。

ずっと私たちを心配してたらアンジェロは痛く辛い中で喜んで光に帰れないよね…2人に伝えました。見てあげて欲しい、もう大丈夫だから安心して虹の橋を渡りたい時に渡ってねと伝えてあげませんか?一緒にアンジェロを囲む時間を作りませんか?と提案しました。

パートナーも里子さんもアンジェロを心配してるし愛していないわけじゃない。ただわからないだけ。

今朝会社や学校に行く前にアンジェロを囲みみんなで触れました。アンジェロは安心して眠っていきました。

自分の感情やカラダを流れるエネルギーを感じにくいと周りのエネルギーも当然感じにくいです。

毎朝なのか夜なのかわからないけど、少しの間みんなで今ここにいる時間を作ることにしました。

寂しさや不安とか自我に気づかないと囚われます。人間の奥底にはそれがいつもありますし怖いからマインドで動いていたいのです。

でもその不安を感じているのが自分だと思い込んでしまうと…

その思考パターンのエネルギーが広がる。

孤独、ひとりぼっち感、分断した感覚が確信に変わる。

世界をそのように映し出し創造し自我が肥大化する。

今朝、そういう自分が創り出し映し出す世界に勝手に嵌ろうとする瞬間を目撃しました。それがダメなわけじゃないので気づいたらそこにジャッジすることなくただやめるだけです。

自我ってホントにパワフルで

簡単に被害者になります。

本質の自己を眠らせたままにしておきたくて

何でもやります。

まるで本当の事かのように起きてきます。

マインドに気づけているなら今は十分素晴らしい。

思考が創る世界を映し出し見つづけるのはやめます。

私はずっとエネルギーが分からずにいました。

被害者で居続けることで周りのせいにできました。

実際その思考が映し出す世界は

自分の正しさで他者への批判をしていたし

自分もよくダメ出しをされていました。

ホントに余計なお世話だよねって事を

いっぱいいっぱい引き受けて

私も必要とされようとして余計なお世話をしました。

そういうマインドで映し出した幻想の世界で苦しんでいたんだなぁと思います。

この世界をしっかりと感じて生きること大切にしたいですね。