長野県里親制度、認定登録に向けて⑪〜基礎研修で学んだ児童虐待についての事から感じている今〜

様々な捉え方があるので

書いたことが真実です、正解です

ということでは全くありません。

違和感を感じる方もいらっしゃると

思います。あくまで私が

感じているだけなのですが

書きたいので書いてます。

虐待も仕方ないよね…

思っているわけじゃないです。

自分のいのちを輝かせ

生きていくことが

心からの願いだからこそ

もう自分の創り上げた

理想や正しさや正義に

縛られる必要はなく

幸せな、理想的な親子関係、

素晴らしいとされる

子育てなんか実は決まってないし

それぞれの最大限の愛があって

どれもどんな自分も自信を持って

受け入れていくことな気がするのです。

で、また

産んでくれた親に感謝すべし

親を許しましょうとか

仲良く過ごしましょうとか

いつもどんなときも笑顔で…

まずはそんなもんに囚われる必要もない

と気付いていくことです。

自分が本当に感謝をわかりたい

許さないと思ってる自分を許したい

仲良くしたいとか

まず自分がどうしたいか、

湧いてくる気持ちが大事だからです。

私の両親がそうであったように

ちゃんとした子育てをとか

しっかりとした養育を

って正しさや正義を思い過ぎると

息苦しさや恐くなったりもするし

自分の親やパートナーの親とも

誰とも見ている世界が違うだけなのだから

傷つけられるという被害者な立場に

なることはそもそもないということに

すら気づけなくなります。

例えば怒らない、いつも優しく、愛情持って

感情的にならない親が素晴らしいという

聖母マリアかイエスキリストか…

みたいな人間じゃないレベルで

子どもを愛せないとダメだと責める

のは違うよね、笑…とすぐわかるのに

子どもに対してイラついた

すごく怒ってしまったことを

ダメとしてるくらい、自分の中の

ホントは愛し合いたいんだし

魂から触れ合いたいんだと

訴えるその愛の深さに

気づいていないだけな気がします。

自分のいのちを大切に思えないくらい

気持ちが自分の奥の方で

置き去りになってしまい

自分でなくなることは

誰にだってあることです。

そんな分離した自分に気づくことも

大事かなぁと思っています。

だからって命を粗末に

していいわけじゃないし

犯罪を正当化や擁護する気は全くないけど

赤ちゃんを遺棄してしまう親が酷い

虐待する親は愛がなくておかしいと

見えるところだけで人は判断できない。

私は子ども時代に

身体的虐待を受け

無知さから、大人になっても

本当は望まない世界の中に生きて

暴力や犯罪が当たり前にある世界に

長いこと身を置いてきました。

純粋な愛のつながり直しのプロセス

愛し合うこと、愛を知ることは

困難でエベレストよりも険しく高く

死んでしまうほど恐いことだと

思い込んでいて世界に現していたことに

気づきました。

だったらいっそ無関心でいた方がいいと

自分のスピリットとは程遠く

眠ったまま魂が歪んでいきました。

それでも学んでいき気づいたら

この世界に誕生させて

くれただけでもう全て愛しかないな

って腑に落ちた時がある時に来たし

親だからって求めるレベル

高すぎたよねーっと

自分をあっけらかんと

もぉ、アホみたいな自作自演だな

と笑い飛ばせた時もある日来たってこと。

悲しい、苦しい体験があったからこそ

今の自分の活動や在り方になっていると

いう困難を超えて器を広げ、愛を深める

という成功体験を繰り返す領域すら超えて

本当の自分のただ喜びから愛し

生きるチカラが湧いていくのを

感じていいと許可できた。

無知さが悲しい事件に

繋がっている場合もあるなら

この世界中のあらゆる情報を

瞬時に受け取れるこんな

情報革命時代に

学ぶことができる

知ることができる

サポートが受けられる

その扉は開かれているのだと

こうして書いていけたらいいなと

思っています。

だからたくさんの方々が自分の

最大限の愛で自分のこれだって

思う様々なことを発信しているし

提供をしている。皆さんにとって

しっくりくる、ぴったりとくる

そんな繋がりが広がりますように。

自分を大切にとか

自分を愛すること

自分は自分でいいんだ

ってフォーカスしてもしなくても

自分が愛そのもので枯れない

源で愛は今この瞬間も

循環してんだよって気づけるように

自分をまるごと大丈夫にしてく

プロセスが健全さを育むって

私個人的には感じています。

ひどい親だったからとか

虐待をうけたからとか

傷ついたココロを持っていた

としても、大人は自分の足で立ち

人生を選択していけることを知れる。

それが腑に落ちるまで

生きているだけで発生している

1人1人の個の振動の波動で

ココロの平和な波紋を広げられるくらい

深く癒されたっていいよねーーと

思っている。プロセスだから。

かわいそうな人、救わないといけない人

は存在しないと信頼している。

今は霊性が高く、カルマを持たずして

地球にやってきている子どもたちも

多いのだと聞きます。

一昔前とはまるっきり違う。

そんな子どもたちに学びながら

大人がこの地球でココロから

楽しむ繋がりができたら嬉しい。

虐待により傷ついたり

命を落とす子たちに

心が痛まないわけない。だから

ホント言い方が難しいのだけれど…

繋がる人と繋がったら嬉しい。

via PressSync