クリスタルボウル奏者がクリスタルボウルが消える日が来る事を祈り奏でている意味

私はクリスタルボウル奏者ですが、クリスタルボウルはもう世界には必要ないというくらいになれば1番嬉しいです。

どゆこと?

いい加減な気持ちで奏でているという事ではありません。

自己の存在は、思考する自分でも感情を味わう自分でもこの身体でもないという気づきを私自身がより深め体現すること。

理解し祈り奏でるクリスタルボウルがいずれ地球へと還りこの世界から無くなる事を祈っています。

クリスタルボウル奏者という役割ではなくクリスタルボウルは波紋を広げる役割をしてくれている存在で、土台は祈りです。

だからクリスタルボウルを奏でていても、奏でていなくても在り方、生き方は変わらないという事です。

自分はいません。

奏者として自分が消えれば消えるほど、純粋なクリスタルたちはいつも喜びで唄い、その愛に響き合ったもの全てが最高最善の調和へと導かれ、必要なタイミングで大切な気づきをもたらす

それくらいパワフルな存在です。

奏者ができる事は自分の純粋性を磨き、自分が映し出す世界を客観視できるよう努めて、霊性を高めて、集中を保つこと。

だから日々精進なのは奏で方ももちろん必要かもしれませんが、自分の人生をありのままに見ていく事、真理に気づき歩むこと。

奏者の在り方がそのままクリスタルボウルの倍音とともに拡張されるのです。

思考ではなく潜在意識のエネルギーです。

これが私自身、師匠伊藤マナさんより受け継いで大切にしている事です。本物であることが私にとって満たしたい大切なニーズです。

師匠は何度も伝えてくださいました。

「クリスタルボウルは誰でも奏でることはできます。でも何のために奏でるのか、クリスタルボウルを奏でることの意味と価値を理解し奏でると、クリスタルボウルの素晴らしさはさらに伝わります、祈りです」と教わりました。

私が今回の人生で全うしたいこと、知りたい事ってやっぱり宗教というものの学びや日々の修行という事から得られる気づきだったり、宗教という枠を超えての祈りや教えの学びです。

その祈りを増幅してくれるのがクリスタルボウルたちで、大切な仲間たちだと感じています。今必要だからクリスタルボウルというツールを使う。

そして必要ないくらい地球が目覚めたならば、クリスタルボウルは本当に消えるのでしょう。

 

via PressSync