アルコール依存症からの回復と認知症介護〜自分が創造する世界の捉え方〜

人を問題ありと見てしまう人と

問題ありと見られた人との創る世界。

あまりにすれ違いすぎて滑稽だ。

私はアルコール依存症の父が問題ありな人だと

ずっとそういう視点で見ていた。

そしてそのまま認知症へと進行した。

問題ありという私の視点自体が崩壊した時

全く別の真実を生きる世界に入った。

同居前の父はデイサービスの利用中

攻撃性や尿意や便意もわからなくなり

自分の糞を手で触ったり、トラブルも

あった。ショートステイでは

「早くここから出せ!帰る!」

と周りや職員に暴言を吐き、

自宅に訪問看護師やヘルパーが

来て声かけするも拒絶していた。

飯田市に両親を引き取り5ヶ月目に入る。

父が今は穏やかに話し

介護職員や看護師の方々に笑顔を見せ

デイケアでは1人静かに集中し作業したり

家では家事を手伝い、尿意や便意が

わかるようになって1人でトイレに

行ける時も増えた。

2泊3日のショートステイも

施設からお父さんが帰りたがっていますと

電話も無くなり、問題なく3日間落ち着いて

過ごせるようになった。

問題ありだと見る視点を  

自分が止めるだけで

こんなにも世界は変わる。

お世話になっているケアマネさんから

認知症の方はご家族の関わり方で

症状も進行も変わってきますからね。

と伝えてくださった。

父は「ありがとう」とにっこり笑う

今まではいったい誰だったのか?

というくらい父は父の本質にかえっていっている。

母もゆっくり母のペースで老いを

受け入れていってる段階。

今までにないくらいエゴが肥大し

そこからくる発言や行動に衝突も出てきた。

それは母親が今までのようにはいかない

身も心もただ受け入れていく

プロセスとしてあるだけた。

何も問題などない。

弟ともコミニュケーションが

軽やかになって嬉しい。

私は見えない家系の囚われから

私自身や弟が解き放たれ

自分の幸せを生きる許可が出し合えることを

いつだって望んでいる。

旦那さんがいい人をやめ

私の両親と距離を取るようになった。

自然なカタチになってきた。

大切な深い魂のご縁、家族。

全ては必然でプロセス。

自己犠牲とか被害者意識を自分が

手放せば見える景色は全く変わる。

外側の世界を何とかするのではなく

気づくところはさらに俯瞰し

自分の真実を信頼をしなさいって事。

私自身が問題ありな人と見たり

または見られたり、聞いて欲しいと

伝えてもいないのにカウンセリング

されたり、人の話を聞いていて

自然とセラピーになったり

そんな視点から創る世界で

接していたのかと、とても傲慢で

失礼で自分は何様だと心底反省した。

そりゃ自分の憤りはおさまらないでしょうよ…

ズレてたんだよ、そもそもが、笑

全て味わいたくて経験したくて

自分が創り出していたのですね。

これは自分へのダメ出しではなく

本質の自分にかえる前進の一歩。

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