「仕事じゃないかもしれないよね」そう言ってくれた事に感謝している

伝えてくれた言葉が腑に落ちた、数年後に。

思考は役に立つと信じているから
手放さない

自分を生きていなかった頃

まだ自分の好きなことをして

生きていくなんて発想がなかった頃

愛情とか、正直さ、パワフルとか

意図明確で決めたらやるとか

真っ直ぐに突き進むとか

そんなイメージはよく言われていた。

それは達成していくことが

楽しかったから。でも

私の中で〜ねばならない。

〜すべきだ。という自分の無価値観

自己否定感、自尊心の低さ、劣等感から

ずっと頑張らないと存在できないと

思っていたし、結局頑張ったところで

無価値観や自己否定や劣等感は

なんら変わらない。

そういう「自分はダメ」思考で

居続けることが

私の何がなんでも生きてやる

という生への執着になったし

死への恐怖をごまかすことでもあった。

行ったり来たりをシーソーのように

繰り返す遊びが自己探求だと

真剣に勘違いしていたからだ。


ちーん…笑

拗ねて卑屈になっていく自分を隠し

人生楽しいよー!!と周りに見せても

わかる人にはわかる。誰に?

自分が一番わかっている。

もっとこうだったらいいのにな…

という不足感が臭い漂う、笑

そりゃそーだ。

人生を難しくしなくていい

不足感をなんとかしようとするのではなく

嫌だと感じたことをやめていく。

やめていくことは怖い。

「できるだけ変わりたくない」

エゴはいつもそうやって言ってくる。

変なテンションで上げていくとか

ワクワクだけ見ていくとかは

結局感情の波に逆らうことになるし

わざわざ難しくしなくていい。

腑に落ちたのは数年後だった

まだ私の使命はこれだ!的な

幻想を追いかけてた頃

何をしたいのか、何をするために

私は存在してるの?と謎だらけだった。

その時仲間は

「仕事じゃないかもしれないよね」

と伝えてくれた。

その時さっぱり意味がわからなかったし

モヤモヤした。私だってできる!

そんな何かが欲しかったのだ。

無いものを掴もうとしていた。

最近よくわかってきた。

つながってきたような感じがする。

何が起きようとどうなろうと

どう在ろうと

自分自身の満ちている幸せに

差し障りなどない。

「仕事じゃないかもしれないよね」

そうはっきり言ってくれた事に

今は感謝しかない。

でもって「仕事」「自立」という事の

設定を変えていけばいい

ってわかったのだから。

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