真実、真理を思い出すために全てを選択し生まれてきた

幼少期に感じた感情からできる
自分に限界をつけてしまう思考は
誰にでもあります。

あ、でも最近は
カルマを持たずに地球に生まれて
純粋に楽しむことを体験する
子供たちがドンドン生まれて
いるようですね…すごいなぁ〜
先日会った18歳の少女たちは
まさにそんな感じの素晴らしく
クリアなエネルギーでした。

子供は純粋でスポンジのように
見たもの聞いたもの感じたもの
を真実として自分に吸収していく。

いいも悪いもなく自分とは何者かという
問いになる大切なプロセスな気がする。

だから親がどんな子育てが正解か気にすることもないし、過去の自分の子育てが間違えていた
かもとかなんて逆に失礼ですわ、笑

私、母親に言われました、笑
「子供の育て方間違えた…」って。罪悪感いっぱいに。勝手に失敗作みたいにしないでくださる⁇と今は笑い話です。

子供の頃に虐待を受けていた私は傷つけ傷つける事が愛だと潜在意識では真剣に思い込んでいたし、食べてる時にいつ父親がキレるかビクビクし、キレたら最後テーブルがひっくり返り食べ始めだろうがその時点で終了になりました。

美味しい、楽しい時間なはずな食事な時間は
安心してはいけないサバイバルな時間に変わっていきました。

笑ってふざけると父は「うるせー!」と殴られ、2階から水風船落として遊んだら、マジで母に無言で睨まれた…怖ぇ…。楽しむ、自分らしくしてると命の危険すら感じた。

で、大人になり自分らしく生きられないのは子供の頃にそんな体験があったからだ…というのも一つの側面から見ればそうです。だから癒されていく段階は必要なのです。

癒されていかないと真実を受け入れにくい。

自分が癒され満たされるからこそ他者貢献の領域に入るプロセスなら延々と癒されたいだけ、誰かやこのメソッドが変えてくれるという依存になるということにはなりません。

潜在意識は日常無意識の領域なのだから、気づいたらめっちゃ不健全になってますね、アタクシ…なんて事は未だにたくさんあるのです。

そこに抗わない事にしたのだ。また不健全に入った私、ダメダメね…学ぼう!!成長しなきゃというのは苦行になります。

学び続けること、自分の学んだ場へ行くこと、信頼する方に逢いに行くことだけで、自分を整えるエネルギー調整になるのだから楽々でしょ?

それを依存だ、甘えだ、自立出来てないと言う人がいても大丈夫。

過去があったから今の自分が形成されたんだと言い訳はできない。なぜなら元々魂の学びにピッタリな環境、家系、身体を全て自分が決めて生まれてくるので。

私は自由というものが欲しかった。魂は自由を思い出したくて不自由さの極みを体験したかったんです。そのために地獄か?ここは?世界なんて息苦しく囚われてる牢獄のようなもんぢゃんって環境をわざわざ選び、家庭環境を選び、親を選び、自分の肉体を自ら希望した。

今の自分が自由じゃないと怒り、憤り、悲しみ、嘆き、絶望し、そんな環境からどこに行ったって何してたって自由なんか無い!真の自由とは何なんだ?と問いを立てみつけようと生きる道始めたっていいよね〜

親から独立して、1人暮らししてもお金をたくさん稼ぎ、さらに貢いでくれる人たちがいても、好きだと思う仕事をしても、結婚して専業主婦になり何不自由なく何でもできる環境になっても、ずっと不自由さが苦しかった。

親から受けた虐待も、共依存関係も自分の病気も、借金で崩壊したことも私が今この意識の自由、真理を知るために体験したかったこと。

もうその体験は必要ない。今ここ、この瞬間に
解き放たれ感じる自由。私が思い出したかった
元々何にも縛られてなんかなかったんだということ。

さらに自分がホントに幸せしかないと叩かれる、妬まれる、死ぬ、なんていうめんどくさいパターンでイマイチ抜けきらなかった領域が、ようやく解放され私幸せ、ただ生きてるから。

楽しくても、ふざけてても調子乗っても傲慢にならないから大丈夫。謙虚である自分は存在してる。

のびのびいってみよー!

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つぼちゃんもみほぐし