高野山リトリート体験記⑤〜歩く瞑想〜

壇上伽藍へ参拝。

この写真の道は龍の通り道と言われているそうです。ここを一歩ずつ、ゆーっくりと大地を感じながら、石や地面の土や木々の緑、空の色、空気などをただ感じて歩く。普段は歩くことって無意識にアレコレ考えながら歩いてる。

ウォーキングは音楽を聴きながら歩いてるし、
買い物に行けば買い物のことを考え見てるし、
なにげに歩いていても、過去にあったことへ意識が飛んだり、少し先の未来に意識がいってしまう。

その意識を今歩く1歩に向ける。

2016年の歩く瞑想では、意識が飛びまくり体幹もへなちょこでブレブレだった。フラつく。グラウンディングが弱かった。

2017年の瞑想は大地のエネルギーを感じて、自分だけで歩こうとしてたことに気づき、周りにある自然のチカラに助けてもらおうと呼吸が楽になってきたけど、歩ききった時には肩がガチガチで腕から手も痺れ、かなり緊張しチカラが入っていて疲れた。

2018年、今回はチカラが抜けている感覚があった。ただ歩くことが心地よくなってきてシータ波の時の眠気がやってきた、目を閉じてただ心地よさを感じた。最後の方やっぱり集中力が途切れてフラついた。

人生だってフラついてブレてもよいのですよね。なんにもない人生なんてない。どうしてこんなことが起きてしまったの⁈なんて出来事は
やって来る。

その時の捉え方や瞑想で得た感覚、自分の本質に戻ることを思い出せるようになっていたら、日常生活がホントに安心して生きられる。

少しずつ瞑想に慣れてきた感じを歩く瞑想でも体感できた気がする。

via PressSync