自分の違和感を大切にする

ブログ、SNSなど

書いてある言葉というより

その奥のエネルギー、波動が伝わってくる

感じがハッキリとなってくると

なんだか違和感や気持ち悪いと感じる

ことも当然あるわけで。

それは私の言葉を読み

なんだか違和感や気持ち悪いととか

感じる方もいるということです。

そうやって人は人を通して

あらゆる反応が起き

自分の内なる違和感に気づいていきます。

その違和感は自分の本質を知るために

大切なことだったりする場合もあります。

だから人に対して嫌な感じ、感覚、感情が

フワッと湧いてくることは

ダメなことでも何でもないのです。

嫌はイヤでいいと

今はそっとしておきたい、放置

も自由意志の選択です。

自分の違和感を通して

自分に向き合った時に

学びがあり、それを気づかせて

くれる出来事だったんだと

時間がとても経ってから

わかることもあります。

無理矢理に理解し許そうとしたり

自分が悪かったからだとか

嫌な人と無理に一緒にいることないし

と開き直るとか

出来事の一側面だけを捉えて

正解を探るように現象を見ていくと

真実は余計にわからなくなります。

自分を観察するクセをつけるというのは

感情を感じないようにするということでは

ありません。

また、自分にとって味わいたい感情だけ

の出来事がやってくるようにすることでも

ありません。

どんな感情もありのまま感じるからこそ

現象を良い悪いで判断することなく

自分を深く理解していける。

未知な領域に進むことは

お化け屋敷でどんな怖いことが

待ち受けてるのかドキドキする

感じにも似ていますが

このドキドキする感じが大きければ

大きいほど、実は魂は喜びを

感じている。知らない自分に

出会えるワクワクをわかっているのです。

いろいろ出来るようになりたいと

私たちは練習をします。

何でもはじめから

うまくなんてできない。

だから生き方、在り方、考え方も

自分のありのままでいる

練習をしていけば大丈夫と

私は思うのです。大人だからといって

それを知っていないと恥でしょうか?

自分はもう知っている

その感覚が実は自分のエゴの制限かも

しれません。

謙虚に知らない自分を受け入れ

コツコツ練習をしていくことを

していたいなぁと思うのです。

喜び溢れた奥深い人生を

生きていくことに感謝しながら。

ブログ、SNSに書く言葉には

その言葉の奥の感情エネルギー

想いがそのまま乗っかる。

それがわかるからこそ

怖かったりもします。

だから自分自身にできることは

出来るだけクリアに

真実の愛とつながり

言葉を発信していけたらなと

思います。

これも日々練習ですね。

via PressSync