人間として生き出来事からの感情を味わいつくし平安、平和に気づく

悩み、感情に振り回される事は誰にでもある。
そんな時にどう捉えるか

私は人間で悟りを開きたい覚者なりたい人でもなければ、高次元の存在でありたいとも思わない。今この地球に選択して人間を生きている。そしてキリストやお釈迦様や弘法大師空海のように理解し生きることは今の魂じゃ難しいなってのも知ってる、笑笑

3次元の世界、二元性の中に生き、対極を味わい、善悪や光と闇の二つの世界から味わえる全てを体験したいと望んでやってきた。そこから生まれるエゴから抜け生きながら5次元の愛の世界に存在できることを味わうため。

地球に生きるからこそ二極を味わい思い悩み、傷つき、怒り、人を嫌いだと感情が揺さぶられる体験も、愛、感謝、祝福、希望、喜び、慈悲、慈愛、幸せ、平安を感じる瞬間も全部同じ
です。

光だけを良いものとして、自分の内側にあるものを見てここの地球を自分が味わうことをしないと内側でジャッジから分離が起きて、周りの人には違和感にうつる。

どれだけ創造主、そして神仏の観点、捉え方に気づいても、人間として生きる以上神様や仏様やもちろん天使にもなれないし、ならなくてもいい。

光と同じだけ闇があることを体感する勇気。
自分がその体験を味わった時にいかに平安、平和を自分の中に取り戻すか、体験から何を気づき今この瞬間にだけ存在する意識にかえるかが
大切な学びなのかなと感じている。

だから大いにブレていい。悲しみ、憤りを感じたり、ジャッジしてみたり、落ち込んだり、たくさん揺さぶられたっていい。

それが人間の本質の光、真実じゃないってわかる気づきが深まる。

少し前、私はあまりにも辛い闇を見たくない、嫌だからと光であろうとしました。

でもそれは地に足つけず、幸せだなぁ、豊かだなぁ、平和だぁと無責任にその波紋を広げていただけだと気づいた。そのステージは必要だったのだけど。

クリスタルボウルを迎え入れ活動を広げる覚悟をしたことで現れた次のステージの入り口。

勇気を持って真摯に自分と向き合い、闇を直視した今感じるのはやはり、幸せだなぁとか豊かだなぁとか平和だなぁとかって平安である感覚なのだけど、奥行きがまた広まった感じがしている。

闇にフォーカスせず光をみるのか

闇を直視しそれすら包括する光となるのか

全てないと知っているから全てを光に変換しなくてもただありのままに捉える観点。

学びはホントに奥深く、まだまだ知らない自分と出会えることが楽しみでもある。

という私の観点のお話です。

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