女性か男性か?どちらか?
LGBTという括りは
しっくりこなくて
でもそれなら私は
いったい何者であるか
とても決めたがっていた
私自身に気づけた。
どこに、どっちに
属するんだ⁇みたいな。
性別も、もっと曖昧な境界線で
生きていってもいいのかもよ
って道もあることを感じ始めた日。
男性でもないし女性でもない
でもこの身体は女性だから
「私は女性です」と
はっきり言えるのだけど
ずっと違和感だった。
女性として生きてきたし
それで感じる幸せだって味わっている。
女性が好きなわけじゃない。
真の恋愛や結婚の対象にはならない。
男性になりたいわけでもない。
男性になって女性を愛したい
わけでもない。
どちらでもない。要するに
性別はなんで2つなの⁈
みたいな感じ。
どちらかに、どこかに当てはめなくては
ならないの⁇
みたいな…またふわふわしたこと
言うと頭オカシイ奴かなぁとか
勝手に萎縮してしまうんだよ。
そんな生き方に
まだ慣れてないから戸惑いを隠せない。
旦那さんは男性であって
男性として見ていて
大切な存在で愛している。
だからこそ、今までの価値観で
私は女性でないといけない!と
女性として、女性らしさを
出そう、表現しよう、体現したい
とドンドン違和感な方へ進む。
それは本当に大切な人への愛だからこそ。
その他の価値観を知らないから。
結婚してから自分の違和感を
感じないように隠してきたように思う。
だから妊娠したら女性なんでは
ないの?私。って自分が認められる
ような気がしてたのかな。
性別すらも崩壊したら私は
もうここに居られない説を
勝手に作っていた。
旦那さんはただ私という存在を
愛してくれているだけで
女性らしさや、可愛らしさ
女性っぽさ、私に足らないと
求められたことは一度もない。
でも私を女性として大切に扱ってくれる。
私の勘違いでしかないのだけど、
自分が女性でないことを
認めることでこのパートナーと
成り立たなくなるのだけは
絶対に嫌だから死守しなければ
壊れるのが悲しかったから。
別れないといけないのか…みたいな。
ちょいちょい来る
「別れるに違いない思考」のヤツだ。
こんなに安心し許せた
人は今までにいないと思っているから
余計に本当の気持ちを認めてしまうと
全部が壊れそうと思い込んでいた。
幻想でしかない恐れを抱いていた。
ややこしくさせるパターン、笑笑
旦那さんは私を
「頼もしい、頼れる、引っ張ってくれる人」
と表現する。それが私にとっては
女性じゃないぢゃん。私。
ってさらに落ち込み、女性らしく
ならなきゃいけないのになぁ…と
女性っぽくないと、私をドンドン
否定して益々勘違いを加速させる。
頼れる男性になりたいわけでもないけど
一緒に暮らしていて心地よい
関係性がなぜかこうなる。
かといって私が旦那さんに男性を
感じていないかといえば
男性らしさは十分にある。
女性じゃないのはわかる。
でも何となく、男性という性別を
超えた存在に感じる時がふとある…。
それで成り立つ関係性で
何にも問題はそもそもなかったのに
概念、頭の声、エゴが
また問題を作ろうとしてたね、私。
ま、人間なので未熟ですよ。
どこまでも気づきの連続です。
男性とは、女性とはって
根本的な概念も、もう頭
かち割られて吹き飛ばされる時代
になってきたってことでしょうか…
女性性や男性性とはまた違うお話です。
私が肉体の覚醒をえらく拒否し
恐れていたのはここに繋がっている
のかもしれないなぁと思った。
今はとりあえずこの段階。
ゆっくりゆっくり気づいていこう。
性別をどちらかで言えない人
そこに違和感な人
LGBTということには違和感な人
なんだか結構いそうな気がする。
私はこんな人です。
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