次へ進む1歩を踏み出す勇気を

Facebookで本郷綜海さんをフォローしているのですが今朝こんな投稿が目に飛び込んできました。

どんなときにも謙虚に、感謝をして過ごす、あなたはそれを学び、それを実践しようと今日まで努力してきたかもしれない。だけどね、もしもあなたがあなたにふさわしい状況にいないのだったら、こんなのは嫌だって、はっきりさせなきゃいけない時がある。感謝という名前で、もう自分に我慢させるのはやめよう。
時に中指を立てて、その場を立ち去ることが、あなたがあなた自身を愛することで、次なるクリエーションに向かうことになることも。多分いまがその時!

感謝ができない時があって良い。きっぱりその状況は嫌だと告げることがあなたを進化させることもある。

救われた気がしました。

私は敬意を忘れ、感謝もせずに立つ鳥跡を濁さずどころか砂をかけて去る選択をしたのかと落ち込みました。

非道で不健全で器の小さな私がダメだったんではないか…とどこかで責める気持ちが湧き喉がとても痛くなりました。

でももう違和感だらけで私は憤っていました。

何かを言えば不健全だと見られるのではないか…
感謝が足りない、努力が足りない、平安な穏やかな在り方になる為にはまだまだ足らない。 

そうやって生きてきたように思います。
尊敬、敬意、筋を通す、恩を忘れない。

それは私の中の愛でしたし
苦痛どころか愛情表現でした。

愛する人を神かのように信じて絶対的な完璧な愛をくれるはずという段階を過ぎて、愛する人も何も変わらない人間だと見るようになったから、受け入れられる事もたくさんありました。

ただ生徒、弟子などどうしても教える立場、教えられる立場の関係性があると対等になりにくい。

敬意を払う大切さを教えられますが、教える者に対して尊重が大切です。

だから何かを学ぶとか教えるって自立した距離感が必要だなぁと改めて思っています。

私もクリスタルボウルや施術や講座を通して教えたり伝えたりする立場になる場合があります。

そんな時に自分の健全な心を保つのが難しい場合もあるかもしれません。

仕事をしていないと役に立っていないと価値がないとか、自分の魂の使命に生きていない事に焦るとか、何とかしようとせず、今できる目の前の事をコツコツやる。そこに意識を置くと生活や暮らしが落ち着くのを私はこの3年ほどで学びました。

両親の介護や里子の養育で思うように仕事ができなくなったり、自分が何もしていないような、必要とされていないような感覚になって焦りました。

でも両親の介護に向き合っていくうちに共依存から自立、さらに相互依存の関係性を再構築する大事な時間だったんだとわかったし、私は外に必要とされたり価値ある自分になるために必死になっていたけど、1人じゃ生きていけないって自立できないと思い込んでいる自分と向き合いたくなかったんだなぁーとわかりました。 

だんだん肉体を離れることが近くなってきているアンジェロからも自立を教えてもらいました。

人は1人では生きていけないです。 

だから自立した在り方で健全に頼ること、甘える事を学んでいきます。

私は今養育している里子さんにそんな背中を見せたいです。

『感謝ができない時があって良い。きっぱりその状況は嫌だと告げることがあなたを進化させることもある』

という綜海さんの言葉のように、あまりにも嫌だと感じた状況に怒り感謝を忘れ、はっきり告げました。
ものすごい責めた立場になりいい人でいたい私は悲しかったし落ち込みました。

が、もう進化しなさいと自分で自分に言いました。
自分でその道の歩みを止めずに行きなさいとしか言えない。

これでよかったとはっきり言える世界を創造します。