2回目の夏休みが無事終わりました

里子さんの二学期が始まります。里子さんを迎えて暮らし始めたのが昨年の3月。去年の夏休みは休まず学校へ行くものの、まだ仲良く遊べる感じではなく外に行くと誰かに会うから嫌だとほぼ家の中でテレビを見ていた里子さん。ストレスも溜まり余計試し行動が激しくなりました。優しく私のように怒らない人なのでパートナーに対して怒りをぶつけることが多かった里子さんでした。私の両親も在宅介護をしていたし私も仕事をしながら介護・養育でストレスでどうやって生活していたのかもうよく思い出せないほど必死でした。

私のパターンとしてポジティブさで乗り切ろうとするので自分のネガティブな感情を受け入れず全く無視して生活してしまうことが多々あります。それが怒りや憤りになったりするので他者への攻撃になるという不健全なパターンを持っています。ただ心の学びや呼吸道というボディーワークや瞑想を学び実践してきたことで自我を自覚できるようになってきたので不健全なパターンは変化してきています。

昨年が潰れかけた本当にやばかった夏休みだので今年はどうなんだろうと少し不安でした。ただ今年3月から両親には特別養護老人ホームへ入居してもらい在宅介護は終了したし、仕事への意識も減らしたので昨年のような仕事量ではないという変化もあったので落ち着いて生活していこうと思っていました。

2回目の夏休みはどうだったか・・・

結果里子さんこの一年数ヶ月で自分が通う小学校に慣れて、友達もたくさん増えたようで、ほぼ毎日家にいなくて友達と遊んで帰ってきませんでした。いつも友達が呼びにきて初めてみる子もいたり「みんな友達だよ!じゃっ遊びに行ってきまーす!」と出かけていきました。昨年はなかった夏休みのラジオ体操が今年はあってラジオ体操で会うのでその流れで今日も遊ぼう!と約束をしているみたいでした。私的に良かったんではないかと思ったことがあります。それは「午前中デジタル禁止令」です。

『テレビ・Netflix・Amazonプライム・YouTube・Switchは午前中は見ない、ゲームしない。午後からは全て自由だよ。制限しないから自由にどうぞ』というルールです。

だから午前中宿題をやってからすぐ外へ遊びに行って昼食を食べに帰ってきて、遊ぶことが楽しいので食べ終わったすぐまた外へ行って18時くらいまで帰ってきませんでした。外で思いっきり遊ぶのでお風呂へ入り、夕食を食べたら、少しテレビや動画を見て21時過ぎには眠くなって寝るという生活ができて夏休み中も生活時間が乱れることがあまりなかったです。

本人も毎日友達と遊べて去年とは比べ物にならないくらい楽しそうでした。だからイライラもしてませんでしたし私もお昼ご飯どうしようかな・・・というところが普段と違うだけでいつもと変わらない生活を送ることができました。

一緒に花火をやりたいって言ってくれたので花火を買って庭で楽しみました。

里子さんは暇だからテレビや動画やゲームに没頭してたけど人と関わり楽しく遊べるしたくさんの友達ができるし、慕われているし、そういう愛されキャラは彼の才能だなと思います。

本人に「素晴らしい自分の才能をわかってる?」と聞いたら「わからない」と。それはそうですよね。本人にとってはそれが当たり前なので才能と言われてもわかりません。

友達と仲良くできて、たくさんの友達がいて、毎日誰かがあなたと遊びたくて「あそぼー!」と呼びにきて、楽しく毎日過ごせるって素晴らしい才能なんだよ。大切にしてね。と改めて伝えたらちょっと誇らしげでした。

みんなそれぞれ素晴らしい才能を持って生まれてきます。誰かと比べてしまったり自分ではない誰かになろうとしてしまうとその才能のことはすっかり忘れてしまい、自分は価値のないダメな人間なんじゃないかと自分を否定しまいエコが肥大化してしていきます。

子供の頃にたくさん認めて褒めて育てるってのは頭じゃ十分わかってはいるけど、つい自分が望むような子供になってほしいとか、心配のエネルギーで締め付けたり、条件付けの愛を与えたり、自分と子供を一体かのようにエネルギーフックをかけたり、自分自身の自我で子供を見ていってしまいます。

だからまず養育する側が自我と本質の違いを理解して何度も真実を体験していくことや、その後どう自我と統合し生きるか実践し続けることが大切なんだろうなと思っています。自我を成熟させていく必要がありますと最近Facebookに投稿されているのを読みました。

私たちはありのままでいい。自分を愛する、好きなことをすればいい、この世界には良いも悪いもない

この言葉たちを未熟な自我のまま捉えると自分の都合のいいように捻じ曲げ捉えていく感じがするんです。その言葉自体は間違いではないけど、自我を成熟させ健全な状態に在れる時、ありのまま存在するとそこには優しさや思いやりもハートから溢れ自分のように他者も感じられるつながりがあるのではあるのではないでしょうか。その時に恐れは一切なくなっているわけではなくて自我はいつでも恐れているしあり続けます。それを自覚しながらでもハートが開いた時の人との繋がりあい、あたたかさは感じられるのが人間なんだなって体験したのです。

この夏休み、私は里子さんの養育を通してまた大切な気づきをもらえた気がします。さらに自分自身が実践、練習して健全さを保つ努力を楽しみたいと思います。