宇宙元旦の前に起こった素直な時間

占星術的に見て3月20日は1年12星座の終わりの星座のさらに最終日という事で1つのサイクルが終わりまた新たなサイクルが始まる日でもあるので「宇宙元旦」とも言われています。

宇宙元旦前の浄化

多忙になったりお休みの日はお休みを楽しむ予定を入れたりとここ最近無価値感というマインドをこの世界に映し出す自分も何となくぼんやり見ていました。

多分今年に入ってからです。仕事が忙しく講座を受けてくださる方が増えました。

それが楽しいのではあるのですが、日常の暮らしに起きた出来事を悩みとして話して言葉にすると余計混乱していく感じがしました。

起こることはそのうち起こるだろうし、とりあえずただ進んでみました。

卒業式も無事終わりました。 

こちらのブログにも書いたように一緒に並んで写真を撮る事は私の中では子どもがココロを開く許可する範囲を広げてくれる事だと感じていたから、実際に一緒に写真を撮る事ができて喜びのピークはやってきました。

そしてこの喜びや陽の極みも私のストーリー、物語だと気づかず、これが創り出している現実だという認識だとまさかの事が起きた時に一気にマインドに囚われます。

陽が極まれば宇宙の法則で必ず陰へと振れます。人生上手く順調に行っている時も脳が映し出しているストーリーだと気づいていたら安心です。

そうこうしている内に事は起き、何があったかは子どもの事なので書けませんが、近所から学校に通報のような電話があったと子どもがその中に入っていた事を知りました。

起きた出来事をどうするかではなく、いよいよ彼が本格的に愛を受け取ろうとココロを開き始めた感じがしました。

学校の先生とお話をして、もう一度私は私と向き合い、このマインドが見ている世界の奥の感情を流れては消えるのを見ていきました。

前日は表面的な感じで子どもと心が全く響き合っていない感じがしたのに、翌日もう一度ゆっくり話し始めてみたら…

「なっちゃんに怒られた時に嫌われちゃったかな…って思う時があるよ。5年生の時はそんなん全くなかった。でも6年生になってからはたまにそういうふうに思うの」と子どもは素直に話しはじめました。

『嫌うことは絶対にないし、大好きな大切で大事な存在だよ。何があっても。嫌われちゃったかなと思うくらい私があなたの中で大きな存在になっていたのに、不安で寂しい思いをさせていたのね。ゴメンなさい。大好きだよ』

と伝えました。そして何かしてもらいたいことある?と聞くと、

「足とかが痛くなったときに、自分でやっても痛みは消えないけど、なっちゃんがやってくれると痛くなくなるんだよ。だからやって欲しい」

「ヒーリングのこと?」

「そうそう、ヒーリングやってほしい」

子どもはそう言いました。

愛を受け取り始めたからこそ見せられた出来事

6年生になり、私との関係性が深まったからこそこちらを見て欲しい、遊んで欲しい、ヒーリングをしてほしい、自分のそばにいて欲しい、などと愛をもっといっぱい受け取りたいという願いが子どもの内側から溢れてきました。愛を受け取る事は嬉しいし気持ち良いことだとしっかり伝わってきたからだと思ったし、順調に進んだから起きてきたのだと思いました。

愛を受け取ることを喜びに感じると逆に今度は失うことの恐れも新たに湧きます。それが自我だからです。

私の忙しさを間近で見ていて、嫌われちゃうかなと思って私の様子をうかがいながらそばにいて欲しい気持ちを我慢をしたり「なっちゃんお仕事忙しいね〜。それだけなっちゃんにやってもらいたいって言う人がいるんでしょ?すごいね!」とも言ってくれていました。

子どもの言葉に甘え、私の無価値感から来る多忙さを正当化し、予定を詰め込み、世の中に必要とされる自分であることに価値があると言う思い込みを子供を通して映していた世界でした。

子供をありのままに見るということが大切だと改めて感じたし、寂しさやもっと側にいてヒーリングしてほしいって話してくれた子どもの素直さに感謝を伝え、素直に謝りました。自分を責める気持ちは必要ないし何があっても大丈夫👌

我が家で暮らす里子は本当にピュアで優しくてニコニコして周りにかわいいと言われる存在自体が癒しです。さすが太陽魚座だけあって周りに溶けるような感じで存在する性質を持っています。

私も太陽魚座なのですが、だからこそ全体性の性質から境界線が曖昧で自分がわからなくなるし、寂しいと愛が枯渇している状態のままで暮らしていると問題と言われるような行動や依存症などを起こしがちで、集団の中で善悪の判断がつかずなびいてしまう。そんなネガティブな面も同時に持ち合わせています。

ポジティブな面もネガティブな面も切り離すことなく、ひっくるめて性質だと受け入れて、大切なのは、子供にどう言って聞かせるかとか、どうやってわからせるかということではなく、保護者である自分が自分とどう向き合うかということ。

どれだけ忙しいかを体現したり、そういう忙しく生きている自分が価値になったり、幸せやありがたさになったり、社会に役立っている人と幸せを繋げて生きるのってやっぱり私はストップかかります。

私が地球でやりたいことじゃないから。上手くいっている時こそ、それが幻想であるとできるだけ気づく在り方を大切にしたいですね。