依存症について自分が体験から今感じている事を書いています。不快に思われる方もいると思います。苦手な方はスルーしてくださいませ。
依存症って認めたくないもの。
自分は違うと思いたい。
アルコールやタバコや薬物や食べ物や買い物、セックスはわかりやすい。仕事や価値ある人間になろうと頑張るワーカホリックだったり、恋愛や結婚や親子など人との関係性の依存がわかりにくいし、自覚しにくいし理解しにくい。
大人だから、大人として、大人のくせに、だから、人として責任があるから…
と自分を見つめているようで外側に自分自身を置き去りにしてしまうため中々自分では責める一方になりホントはどこに向き合ったらいいかわからない。
過去上記のようなものたちのほとんどに大きく依存してきた自分は自分が依存症であることに
真剣に向き合おうとはしていなかった。限界になるまでただ恥じたし、惨めな自分が嫌で隠そうと必死だった。
なぜ自分がこんな辛い目にあうのかと自己憐憫に落ち入り逃避していた。大人のくせにちゃんとできない、意志が弱く甘いからだと責めるだけで自分の本質や真実の愛に向き合うことが
どういうことなのかわかってない。
要するに無知だった。
無知が更なる犯罪を生む。
もちろん犯罪を良しとするわけじゃない。ただ大人としてダメだと裁き排除する事だけでは解決には繋がらないし何も生まないのだ。
1人でも多くの人が真実を学んでいく事。
学びを継続すること。知らない自分を知ること。自分にとって本当に必要な情報を見極めていくことが大切だなぁと思うのです。
私自身、脳は10代からの長年のあらゆる快楽に気持ち良さとは何かをわからないまま過ごし、それがないといられなくなっていた。
シータヒーリングで思考やDNAの書き換えができると初めて知ったし自分に必要だと知った。
そしてそんな方法があるのかと絶望の暗闇の中で光を見た感じがしたし、自分の望む幸せな人生を生きたいと望み、そうして律することも
意識できるようになってきた。
薬や心理学的なアプローチだけでは回復しきれない領域があったことも私には確かで、全ての人がそうだということではないけれど、通院したり入院しただけでは改善しない場合もある。
通院をしても大丈夫。薬を飲むことも必要な人もいる。病院の治療全てをこれまた極端にいらないとしてしまうのは解決にならない。
もっと波動、エネルギーなど目に見えない領域も含め全体からのアプローチも必要だという認識が広まったらいいなと私は感じている。
自分の中の不信感や愛されているということが
わからないとか愛されていなかったという思い込み悲しみ・寂しさ・怒り・憤りなどの感情を肉体のあらゆる臓器や細胞という場所に封じ込めオーラフィールドにもたくさんの未解決、未完了な情報を抱えますます自分らしさから遠ざかる。そんな人たちにエネルギーワークは有効に感じる。
暴力や犯罪が身近にあたりまえのようにあった環境が私の過去の居場所で真の幸せとは何か、ありがたいとはどんな感覚なのか、それを心底わかることが私に必要だった。
時間がかかっても人は望めば必ず必要なご縁の人や場につながり愛に満たされボディ、マインド、ソウルというバランスが整っていき、霊性を高めていく学びを選択し依存症から回復することを今は自分自身の体験から信じている。
自分が信じてきた勘違いパターンからの学びをもう終わらせていいねと自分が納得するから安心して根っこの純粋な愛の意識へのつながりを思い出し生きることが始まっていく。
そもそも誰しもがこの純粋意識につながっているのだから。
自分の頭では理解なんて到底できないのだから
計らいと導きに委ねていく。
外側の現象に反応してる自分に向き合うことを
理解すると、争いは瞬間で終わる。自分が見ている外の世界はない。全ては自分が創る世界。
全ての人にとって生きとし生ける命の全て、源から創造される全てが調和しココロの平安、平和で満たされますように。
私はアロマクリスタルボウルヒーリングという方法で依存症の一側面をサポートできると信頼しています。
via PressSync