願いを叶えるために必要なこと〜自分を幸せにする許可〜

願いを叶える、望みをカタチにするために

大切なことってなんでしょう?

100人いれば100通りの方法があります。

きっとどんなルートや方法でも大丈夫です。

『無理だと決めてる自分に気づいて

自分を本当に幸せにする許可をすること』

も大切だって私は思っています。

要するに自分が決めること

無理だ、できない、って

自分を幸せにする許可していなかったのは

私でしたよってわかりやすいお話を一つ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

旦那さんは私に

「名古屋のお父さん、お母さんにも

飯田へ泊まりに来てもらったら?」

とずっと言ってくれていました。

私は

「え?そんなん父親認知症もあるし

母親は杖ついても歩けないみたいに

なってきてるのに無理に決まってるし

聞いても『長野?遠いから無理だわ…』

って言うに決まってるじゃん」

と答えてました。

旦那さんだけでなく義父母も

「名古屋のお父さんお母さんに

遊びに来てもらったら?」と

言ってもらえてました。

義理母とはこの5年ゆっくり

距離を縮めて

前の結婚で露わになった

*姑に傷つけられる

*嫁はよそ者

*姑とは仲良くなれない

*姑は敵

*姑には気を使わなければならない

*嫁は姑に嫌われるもの

*嫁姑問題から美徳を育む

*姑との問題から自分を成長させて
もらえる修行のようなものだ

とか超被害者意識、ドM修行癖

から卒業するべく

私の中の姑のイメージや概念や

思い込みを少しずつ壊していき

(姑との関係性というか、あらゆる

関係性おいての自分の在り方を

学習していき)

仲良くできると信頼し

5年たってさらに話を

しやすい人になっていたから

隠さず色々話して

「そんなの無理に決まってるし

飯田に両親がくるなんてありえな〜い」

と言っていた。

でも多分、私はずっと望んでいた。

家族神話とか夫婦神話とかあるけど

そうでなければならない!ってわけじゃなく

全ての方が自分の望む家族や夫婦のカタチを

それぞれに体現したら幸せだなぁと

思っているだけで、全員が同じような

望みを持っているわけじゃないから

《自分にとって、現状がどうだとか

ではなく、何の問題もなかったとしたら

何をカタチにしたい?どんな現実が喜び?》

それを知ることが大切です。

私の人生の大きなテーマは「家族」「繋がり」

私が望むカタチは、自分で自分を

幸せにすると許可したらやって来た。

2015年の結婚式以来、両親が

飯田に遊びに来た。

弟家族が両親を連れて来てくれたのだ。

この時に、弟が

「両親をどっかに連れて行ってやりたい」

そう言ったのを聞いて、

弟は昔から私より両親に対して

何かしてあげたい気持ちが強い人だったなぁ

と思い出した。そして

「また飯田に来る時、オトンオカンを

一緒に乗せてこればいいよね?」

と聞いてきたので

「もちろん、そうできるなら歓迎だよ」

と伝えた。

でも正直私はこの時

(そんなんホントに実現するの?)

と願いを叶える自分に無意識に制限を

かけていた。

7月になり、ホントに来るの⁇と

真っ直ぐに純粋にそこにワクワク

していない自分に気づいた。

自分が本当に願っていること、夢は

叶えずにそのまま夢のままで

終わらせておいた方がいい

だってそこに向けて自分が成長しようと

努力できたり頑張れたりできるから…

と、そんな自分に気づいた。

マジか⁈ たしかに「絶対無理!」

という気持ちをわざわざ言って

拒絶してたくらい、

家族で幸せに過ごすことは私のシンプルな

深いところの願いであり、夢。

私はもう「自分で自分を本当に

幸せにする覚悟を持つ」と

その許可を自分にした。

制限をかけているのは

外側の何者でもなく自分でしかない。

そして想像以上の創造がまた起きた。

人生が一番悲惨だった頃に、

浮かぶビジョンが同じだった

のを私は思い出した。

庭でバーベキューして

大人や子供たちが楽しそうにしていて

キッチンで隣に立ち

手伝ってくれるパートナーがいて

私はゆったりこの幸せを味わっている。

破産して借金しかなくて

朝から夜中まで働いて

セミナー受けて

自分を生きようとすればするほど

抜け出さないようにしてる自分の闇に

うんざりして、もう嫌になったり

理想とか夢なんか語ってられない

って状況しかなく、

「あー、私は現実逃避で妄想して

つかの間の幸せ感を

味わうくらいしかないわ

人生ってこんなもんだわ」

とイジけて拗ねていた。

私は封印していた、自分で…

そのビジョンがやっとこさカタチに

なったんだ。長いことかかったけど。

現実になったのだ。あの時見た

未来に時間はかかったけど

最高最善なタイミングで帰ってきたよ。

弟が焼き係&たこ焼き係

ずっとやってくれた、ありがとう。

庭で花火

甥っ子も姪っ子もはしゃいで

大人たちはウッドデッキから

楽しげな様子を桃食べながら見守る

朝もウッドデッキで。

南信州の朝、晩の過ごしやすさに

名古屋に住む両親は「いいね〜」と連発した。

やっぱり涼しいところにご案内しよう

てなわけで不動滝!涼しい〜

子どもたちも大はしゃぎ。

両親も坂をゆっくり登り、名古屋じゃ

歩けないって言ってた母親も

リハビリがてら滝まで歩いた。

自然は私たちを元気にしてくれる

ホントに偉大な存在だ。

マイナスイオンをしっかり浴びて

元気になったところで

次はお蕎麦。

1泊2日あっという間に過ぎた

ホントに楽しい時間だった。

もう言葉を失いほぼ寝たきり

だった父親があらゆる流れが変わり

回復し、孫と話して笑っていた。

母親も幸せそうだった。

自分を本当に幸せにする許可を

していくことも

周りに幸せな波紋を広げる。

旦那さんや義父母にも感謝しかない。

身近な人と喜びや楽しみを

広げていく段階も必要だ。

魂の誓願に生きることはまた

プロセスが違う感じも出てくるけど

焦らず、自分の段階を味わおう。

無理って頭によぎる事でも

現実にカタチが見えやすく

幸せを体現できる時間を創造するには

《自分で自分を本当に

幸せにするという許可》

が大切です。

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