自分の波動で作る料理の味が変わる

手作りゴハン

今日はバレンタインデー。
手作りチョコやプレゼントを私がもらいうれしい。ありがとうございます!

バレンタインデープレゼント

明日長野に帰宅するのでバレンタインデーには間に合わないけど、週末にチョコレートケーキを作るねと電話で約束。

お菓子を手作りするなんて私の中では一生ないと思ってた。苦手だった。料理も。ちなみに家庭科、通知表の評価は1か2。料理は手間、面倒なもの。掃除、洗濯、料理は女の役割、いつの時代の錆びれた常識??くらい古い思考を握りしめ、作らねばならぬ…やらなければならない…それではイヤにもなります。

女性として生まれたことを損だとか、完全に否定して生きてた時は家事全般、やらされてるという被害者意識でいっぱいだった。そんな思考で料理を作っても作る人の波動、エネルギーがそのまま味になるのでホント美味しくなかった。マズい!とにかく味がイマイチ…たとえ料理レシピ本通りに作っても美味しくない…レシピにある分量がおかしいんじゃないか?と失礼極まりなかった…笑

まだ全ては波動、エネルギーであるとわかっていなかった頃の話。そんなわけでさらに手作り料理、お菓子なんて一生苦手なんだろうなぁと遠ざけてたし、興味もないと思ってた。

その思考がホントなのか?

自分の中で当たり前すぎて気にも止めない思考パターンに疑問を持つことは意識しないと中々しない。だって当たり前過ぎて染み付いてるから。自分1人では気づけない。人を通して、また人からサポートを受けて自分の思考に意識を向けてみる。

それってホント?そのルール誰が決めたの?自分のホントの望みは何?
自分との対話ってすごく大切。女の役割とか男の役割とか女は損だとか女は我慢しなければならないとかそんなの真実じゃない。

料理ができない、嫌い、苦手というのは自分が捻じ曲げた真実から創り上げた思い込みで幻想だと気づく。

食べたいと言ってくれる人がいて大切な人に作ることができるのは嬉しい。食べてもらいたい。手作りゴハンを並べて、笑って楽しく食事することが私のしたいこととホントの望みが出てきた。

さらに美味しいと言ってくれるのは次に何作ろーという気持ちになる。人が愛や感謝や敬意を払われる、大切にされると嬉しいように食材だって、調理道具だっておなじ。愛と感謝。「ありがとうございます」と食材やお鍋に伝えてみる。そして調理に使う火にも感謝。それが美味しいレシピにさらに加えるスパイスだと知った。自分が発する、ありのままの波動がお米を洗うお水にまでも伝わる。おいしいかも、と自分でも思える料理もできるようになってきた。

私の手作りゴハンを旦那さんが意識してか無意識かわからぬが頻繁に美味しい!とか料理上手だねとほめてその気にさせる。おかげで手料理を作ることを楽しく継続できている。そんな旦那さんの愛情表現にココロから感謝。