レスパイトを活用して助け合う社会を創造する

レスパイトとは…

在宅で乳幼児や障害者(児)、高齢者などを介護(育児)している家族に、支援者が介護(育児)を一時的に代替してリフレッシュしてもらうこと。また、そのようなサービスのこと。

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レスパイト – Wikipedia

本当に育児や介護って大変。愛しているからこそ苦しくなる時がある。もう辛い、ヤダ…って思ってしまう事にも罪悪感を抱えて、それでも自分しか見てあげる人はいないんだからと頑張り続ける。人間そんなに強くないし感情だってある。

頑張り続ける人が育児や介護を続け、介護される側も迷惑かけてると罪悪感を抱いたり、赤ちゃんが泣き止まず悲しくなるとか、子どもが言うことを聞かずイライラする悪循環に陥ってしまう。 

誰だってそんな状況望んでいない。

助けてくださいと言っていいし、レスパイトとはそういう方々のためにあるものです。けれどまだまだ広く知れ渡っていないし使いにくいのが現状かなと思います。

「家族は自分で見なければならない」って集合意識の世界に生きていると、家族のお世話を他人にお任せするって中々勇気がいる事も出てきます。家族が面倒を見ないことに違和感を感じる他人の目みたいなのが気になる人も。

私自身1年前まだ在宅介護中に一旦リフレッシュしたくて両親のレスパイト入院をお願いしました。父親のレスパイトは中々理解してもらえなかったけど、なんとかOKをもらえました。その時一緒になって病院にお願いしてくださったのが担当ケアマネージャーさんでした。私以上に先生に「何とかお願いします」と頭を下げてくださり、今でもあの瞬間を思い出すと感謝で涙がでます。

レスパイト期間、里子さんが来てから本当に頑張ってくれていたし大人たちの大変さの波の中で里子さんが1番大変だっただろうなと思い行きたがっていたディズニーランドへ遊びに行きました。

それを知った関係がまぁまぁ近い人が「親を面倒見ずに見捨てておいて自分たちは遊びに行くんだな」と直接伝えられました。ウザっ!クソっ!悲しい…感情が湧きました。

そして大声で叫び泣きました。感情と出来事はつなげずに。相手は関係ないのですから。出し終わった頃…罪悪感にどっぷり囚われているマインドに気づいたのです。その相手から伝えられた言葉やその出来事自体が私の内側のエネルギーが映し出したものなんだってすんなり思ました。

中には全然介護や育児が平気だし、自分が見たいって思って介護や育児をされている人もいますし、そういう方はそれで良くて、とてもつながり、楽しみ、気楽さを大切にしながらバランスを上手に保ちされているなって思います。

全ての人が同じように出来なくていいし、得意不得意があるのだけど、自分が苦手でホントに大変って思ってることを出来てる人を見ると何だか自分がダメな気分になってしまう…そんな人もいるかもしれません。

例えば…

「介護や育児や養育は学び、成長させてもらえるし、自分の在り方が問われていてこんな大変な状況でも慈愛溢れて優しさや思いやりが与えられ、自分の心の健全度が保たれるように天が与えたお試し出来事だからありがたく受け入れる」

みたいなことを思っておさめていくのって、結局のところ自我が感情エネルギーを止める為に思考、マインドで創り出してるストーリーだったりする場合があります。これは私の話でわたくし自身のマインドなのでした、笑

頭ばっかり働かせて感じる感覚を遠ざけます。感情が無いわけではなく分離させているので、映し出される世界は思考でどれだけありがたいと思っても自分の意に沿わないような出来事や感情が反応するような出来事の世界を創造するようになっていきます。分離させていては感じることができませんし、自己とのつながりが分断された状態になり、余計に不安や恐怖から世界を良くしようとか幸せになろうとしていきます。

そのマインドにようやく気づいたら世界の見え方が変わり始めました。罪悪感の罠に気づき困難さの欲求や脳が大きな感情を感じることを求めている自分のマインドに気づいていく。

自分がお世話しなければならないと抱える事で自分の存在価値や必要とされる感覚や、頑張りを認められる自分につながってはいませんか?

自己犠牲という愛になってはいませんか?

困難さを乗り越えると成長できるとか、自分の精神的な在り方が人々のお手本になるとか、自分自身の慈悲慈愛が深まるための出来事だとか、自身の苦しく心が痛む体験から人の痛みに寄り添える人間になるとか…

本質の自己とのつながりを絶って自我が自分であり全てになってしまっている状態に気づく事です。

自我はなくならないので罪悪感も悲しみも嘆きもさみしさもあってよいのです。その状態に気づいていれば、感情を感じる時も自己はあり続ける状態にも気づけます。

頼めない、誰も助けてくれない。

と周りのせいにしたくなるくらい辛くて仕方がない自分も悪くないので、ただそう思った自分を受け入れ頼ってみるのです。

助けてもらえない、それは本当ですか?

行政の行き届かない面は取り上げられる事もありますが、ありがたい制度は本当にたくさんあります。育児や介護で自分の心身が病むくらい頑張っている方のところにレスパイトや助けてもらうにはどういう方法があるのか相談できる人がいます。

ヒーラーやセラピストである自分がそのような辛い状況もエゴが極力出ない状態や在り方で周りの人と接したり、養育や介護をしてみせていくのだと私はかなり勘違いしていました。それこそまさにエゴのかたまり。

向き合うところが全く違っていたのに気づかずにいました、笑。自分自身のことはわかんないわねぇ…笑

自分の弱さを受け入れ素直に助けを求める。助けてもらうことを言えずにヒーリングや施術やセッションをどれだけ受けても、その時は助けてもらえた感じはしますが、大切なのは気づき行動することかなと思います。

私はヒーラー、セラピストとして自己とのつながりを大切にしてこの社会を生きたいと思っています。だからこそ社会との関わりを持ち行動し、今ある制度やしくみを理解しどう分かち合い、助け合い暮らせるかを大切にしたいと思っています。そして新しいカタチを創造していきたいとも思っています。

現状ある様々な行政のサービスを利用したり、相談したり、連携したりして暮らして随分楽になる事ってたくさんあります。

レスパイトは辛さがピークに達した人が助けてもらうみたいなイメージで、自分なんかまだまだでもっと辛い人いっぱいいる…みたいな比較から遠慮してしまう場合もありまして…

何とも比べなくていいし、自分との戦いにしなくても全然大丈夫です。

レスパイトで介護、育児、養育する側が少し疲れてしまった時にサポート受け少し離れてみるみたいな感じでの利用だけでなく、もっと広い視点で捉えていったら自由度は高い気がしませんか?

我が家は養育里親としてレスパイト利用は2回目です。1回目は久高島ワークショップの時に友達の里親さんのご家族に頼り、うちの里子さんもすごく楽しかったみたいだし、頼んだおうちの里子さんもすごく喜んでくれて、家の中も賑やかになりとってもよかったと喜んでくださいました。私も本当に助かり自分がしたい事をできました。パートナーもちょっとの間1人の時間を持ててホッとしたと言いました。

パートナーにも1人静かに過ごす時間が必要ですから。

今回12月9日10日と私のイベント出店に合わせて以前里子さんが暮らしていた児童養護施設に1泊2日できるか聞いてみたところwelcomeでした。

以前から里子さんが遊びに行きたいって言ってたけど中々コロナ渦のレベル5やら感染による施設封鎖やらで実現できなかった去年。

今年も忙しく都合つかずにいましたが、今だ!!と思い聞いてみました。児童相談所に確認したらフォスタリング機関の里親担当さんが児童相談所の所長と話し合いレスパイトという事でOKになりましたとお返事がありました。いよいよ実行できますよ、お待たせしました、里子さん!

こんなにレスパイトを利用する里親は居ないっぽいです…現状別に辛さは全然ピークでもないし、むしろ平和に暮らしています。お互いのしたい、楽しみたいを実行するのにレスパイトという制度しかないのならそれでも良いです。

里子さんは我が家で暮らし私たち夫婦と暮らすことも慣れてきたけど、これまで里子さんが暮らしてきて人生の中で出会ってきた仲間や大人たちとも変わらずつながっていて欲しいのです。

今の暮らしの中で小さな頃からずっと週末お世話になっていたホストファミリーのお宅の話を時々話してくれますから。本当に楽しい時間だったんだろうなとわかります。

児童養護施設の先生方や同じユニットで兄弟のように暮らした子たち、ホストファミリーさんたち、みんなみんなあなたが大好きだし、必要ある存在だし、自信もって愛をいっぱい受け取って欲しいのです。離れてしまったからといって無くなってしまうものではないよ。

たくさんの人たちと愛のエネルギーで響き合い子ども時代を過ごし、大人になった時にもあなたには迎えてくれる人たちや聞いてくれる人たちが変わらずたくさんいる事を覚えていてね。里子さんにとっても人生のどのステージでも変わらず幸せだったってわかる。

大人たちが辛くてしんどいから助けてほしいって思考から、そもそもみんなで子どもを見守るって思考に切り替えたら、誰も何も無理しないで全部OKになる気がするなぁと最近は思っています。

里子さん、久しぶりにみんなに会えて先生にもたくさん話をして楽しむんだろうな。私はイベント出店、お仕事を思い切り楽しみます。

みんなで生きていきましょう。
助け合い暮らしていきましょう。