イベント出店から感じた師の偉大さと私らしさの軸

素晴らしい人から学べていたのだなと

思いました。

自分の至らなさを変えて

素晴らしい存在へと近づこうと

頑張れば頑張るほど人は

本当に苦しむことになる。

私は長い間勘違いをして頑張っていた。

あまりに偉大な師の前に

ありのままの自分を直視出来ずに

どこまでも自己否定感や自尊心の低さを

なんとか高めようと頑張れば

頑張るほど泣けてくるくらい

悲しく虚しく自分を

見失ったりもしました。

そうした自己価値の低さから

起こす日々の生活の違和感に

上手くいかない何かを感じながらも

学びとはそういうものだと

自分が心底信じていたから

自己価値を高めるために

ひたすら頑張るという

スタイルを変えようとはしなかった。

他人との関係性から自分の内側にある

真の自己を生きる前のタイミングに

起きてくる感情の嵐があります。

それは自分目線で見て他人を

ジャッジしたり、

私は他の誰とも違うから

私は私で自分らしさでいいんだと

言い聞かせる話ではなく

他人を通して反応してる自分の

感情を丁寧に味わい

どうしてそう感じるのか?を

自分に問い奥に潜っていく事をする

絶好のタイミングになる。

誰が悪いとか何が悪いでなく

もちろん自分がダメなはずもなく

ただ内側に起きている自分の反応を

客観的に捉えていけばいいのだから

とてもシンプルだなぁと思います。

ストーリーをアレコレくっつけて

感情的になっていく事は誰にでもあるから

俯瞰し観察できる自分になっていく

クセをつけることが大切なのかも

しれません。

だから怒らない、悲しまないなどと

感情を無くすように努力する

わけではありません。

頑張っていた結果、私は

自分が何を望んでいるのかも

わからなくなり

たしかにどんな自分も愛なんだけど

余計混乱しひたすら悲しくなりました。

そもそも本質や特徴みたいな

エネルギーが違うのに

その違いを良しとせず

面白がることもせず

近づいていないと

自ら罰したり、埋めようとしたり

違うものになろうとしたり

パートナーシップにおいても

理想だと思っていたカタチが

自分の本質にかえるほど

望んでいたカタチとは

ほど遠いものだったんだと気づく。

頑張る方向を間違えてたことに

気づきました。

それもたくさん泣いたり

喚いたり、とっちらかったり

とことん落ち込んだり

したから辿りつけた領域で

全て自分の責任において

やっていた。どんな瞬間も。

そう感じられます。

がもう学びと言って

自分をとっちらかせる必要はないし

どこに向かいたいか見えてきた

方向性にただ歩みを進めていきたい。

ようやく超えて、先週末のイベントでは

私は私で自分を大切にしながら

また全然違う角度から

師匠の素晴らしさを目の前で

感じさせていただけて感謝しました。

繋がりへの信頼は変わらず感じるし

必要な時には同じ場にいる。

でも一緒にいることだけが大切でもない

とも感じられるようになりました。

自分が本来生きる場で光を放つことを

して、自分のいのちを使うことだし

私らしさの軸が整うことが何より

大切だし、自分がどうしたいかは

自分にしかわからないし決められない。

via PressSync

つぼちゃんもみほぐし